10月の第二日曜日14日は地元田無神社の例大祭だった。午前11時のお神輿の出発をワイフと見に行った。長年この地に住まいながら大祭を見に行くのは初めて。2週間前に津島秋祭りで、地元のお祭りに深く関与しているI氏の姿を見て刺激を受けた次第。
露払いの人の後に天狗が続き、続いて大太鼓そしてお神輿がきた。
お神輿については余り大きくない。子供の時京都の田舎の神社でお神輿さんを担いだことがあるが、その時のお神輿、つまり子供神輿のサイズである。当時大人はもっと大きなお神輿を担いでいたと記憶している。
田無神社のことを調べようと思ってHP→ http://www.tanashijinja.or.jp/info/を見ていると中々良い言葉に出会った。
「やすらぎ」が大切とよく言われています。とりわけ、シニアになったら「やすらぎ」たいものです。・・・・・・・・・・・「何の趣味もない」といわれる方は、まずは家でごろごろしていてください。無理に「何かをしよう」と思わないで下さい。心が健康ならば、い ずれ飽きてきます。・・・・・・・ちょっと難しいのは、根っから心が安らげない場合です。そうした方の心の背景には、余分な不安、罪悪感、傷ついた自尊心があることが多いの です。
中年になって田無(今は西東京市)に引っ越してきて、会社勤めにかまけて地元とのお付き合いをしてこなかった私はお祭りになってもお声がかからず法被を着ることもない。機会があればその内に・・・などと思っているが、機会などこちらから求めない限りこないだろう。
だが神社のHPにあるようにしばらくは「無理に何かをしよう」と思う必要はないだろう。会社や組織の中で暮らしてきた人間は「自分は組織のために役に立つ」「自分は組織の中で不可欠な人間である」という思い込みを自らに摺りこんで生きてきた。だから組織を離れると不安になったり、自尊心が傷ついたりするのである。
しかし会社や組織にとって不可欠な人間なんかいない。組織にとってすべての人は代替可能である。代替可能でないものは、自分の人生だけである。何て偉そうなことを書いてしまったけれど、ちょっと考えさせられる田無神社のホームページの一言でした。
代替可能でないものは自分の人生だけで、大事なことは自分の人生に向き合うことでしょう。禅宗のお坊さんはこのことを「脚下照顧」と言ったのです。