前回ヒマラヤといっても、ネパールにあるヒマラヤとパキスタンにあるヒマラヤでは2千kmも離れていると書いた。2千kmという日本列島の端から端まで。山でいうと九州の霧島山から北海道の羊蹄山ほど離れている。だが霧島山と羊蹄山では緯度の違いからくる植生の違いはあるものの、山麓には同じ日本人が同じ言葉を話し、同じ程度の信仰心を持っていてほとんど差はないだろう。
だがこの点についてはネパールとパキスタンでは大きな違いがある。ネパールはヒンズー教を中心とした国で、パキスタンはイスラム教の国だ。
社会学者の加藤秀俊氏の言葉を借りるとネパールは「信心圏」でパキスタンは「宗教圏」ということになる。加藤氏の言葉(「ひまつぶし隠居学」)によると「宗教とは絶対者を認識しそれを信ずる行為」で「信心とは相対的で、なにごとであれ(ご利益のありそうなものを)勝手に信じる行為」ということになる。なお「ご利益」以下は私の勝手な注釈。
八百万の神がいらっしゃる日本は当然「信心圏」の国である。ビシュヌ・シバ・ブラフマーの3大神以外に多くの神がいるヒンズー教も「信心圏」の中核的存在である。
若い時旅したパキスタンは硬イスラムの国で、一般のレストランではビールも置いていなかった。田舎の中の田舎でも人々は一日に何度かメッカの方に向かって敬虔な祈りを捧げていた。そのような社会の中を旅したことは、自分の価値観の形成上プラス面が多かったと私は思っている。だが旅をして楽しいか?どうかということになると、話は別で「信心圏」の方がフィーリングが合いそうな気がする。ただしこの辺りの結論は実際に旅をしてからにしよう。
「信心圏」はインドから中国、中国に広がり、「宗教圏」はパキスタンから西にヨーロッパまで広がる。「宗教圏」の本家本元が農耕に適さない乾燥地帯にあるのに比べて、「信心圏」は概ねモンスーン圏に重なる。気候と宗教の関係などまじめに勉強すると色々な仮説に出会いそうだがそれもまた今後のテーマにしておこう。