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金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

チープだけど健康で知的な土曜日

2012年10月27日 | うんちく・小ネタ

10月27日、10月最後の土曜日だ。昨夜は有楽町でスキー仲間の素敵な女性とワインを傾けご機嫌だったがその後がいけなかった。遅い時間の西武新宿線は猛烈な混み方で、準急を見送り、上石神井までしか行かない各停を乗り継いでギリギリ帰宅した次第。

面白うてやがて悲しき鵜舟かな 芭蕉 である。

西武池袋線が人身事故で運休し振替輸送を行なっているというアナウンスがあったがそのため異常に混んだのだろう。今朝の新聞を見ると「池袋線の椎名町付近の踏切で車椅子の男性が電車にはねられ死亡」という痛ましい記事がでていた。ただご冥福を祈るのみ。

さて色々出費のかさむ今日この頃。今日はチープに、しかし健康で楽しく半日を過ごすことを考えた。暑くもなく寒くもないこのこの季節の天気が良い日はサイクリングが一番だ。サイクリングの後はスポーツクラブの岩盤浴で寝転んで本を読もうというのが今日の粗筋だ。

今日は野川公園から野川サイクリングロードを調布辺りまで往復することにした。往路は小金井公園を横断して武蔵野公園から野川公園に入った。野川サイクリングロードは幅が狭くかつ一般道との交差が多いので、シリアスな自転車ライダーにはほとんど出会わない。しかしポタポタ走るには手頃なコースである。調布は布多天神という神社を目標にしたが、こちらは事前調査不足で近くまで行きながらたどり着けず断念。

帰路はルートを変えて武蔵境通りを真っ直ぐ北上してみた。

「musashisakai.pdf」をダウンロード

武蔵境通りは深大寺付近から東八道路にかけて道が拡幅され大変走りやすくなっている。さらに今日はじめて気がついたが連雀通りから北に向かって道路が整備され中央線を真っ直ぐ越えていたのにはびっくりした。これで神代植物園に行きやすくなるし、多摩川サイクリングロードにも行きやすくなった。感激。

さてお昼は田無駅付近のフジカフェという喫茶店のモーニングセットで済ませた。この店は3つの良いことがある。一つは「終日モーニングサービスをやっていること」二つ目は「コーヒーのおかわりが自由であること」三つ目は「無線LANが使えること」だ。

Fujicafe

これで590円悪くはないと思う。

喫茶店でゆっくりした後ティップネスの岩盤浴に寝そべりながら塩野七生の「ローマ人の物語」の終わりに近い部分「ローマ世界の終焉」を読んだ。

「ローマ人の世界」を読むとローマ型の民主主義やその後の良き君主制は米国に伝わっていると改めて思う。

「ローマ人の物語」の孫引きだが、イタリアの教科書に次のような言葉があるそうだ。「知性、身体の健全、類なるまでの寛容、持続する意思、説得力 この5つの特性を備え持った人物はシーザーしかいない」

色々批判のある今回の大統領選挙だが、選挙民が審判しているのは個々の政策というよりは、次のリーダーがどれほどこれらの特性を持っているか?という点だろう。

塩野七生は「ローマ世界の終焉」の中で西ローマ帝国が滅んだ後約千年も東ローマ帝国が存続できた理由を次のように述べている。

「東ローマ帝国にも問題は西方と同じに大きかったのだが、それに対処する人が腰を落ちつけて対処できた利点は大きかった。現代的にいえば政局安定である、現代でも、選挙で選ばれた大統領や首相に、五年から七年の任期を保証するのもそのためである」

ところが日本ではこのところ毎年のように首相が変わる。大臣に至ってな3年の間に7,8人が変わるという忙しなさだ。歴史に照らすと亡国の兆しのような気がする現象である。

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人類はなぜ地球を歩いたか?

2012年10月27日 | うんちく・小ネタ

「人類(ひと)はなぜ地球を歩いたか?」とは随分大袈裟な題であるが、昨日聞いた「だから人類は地球を歩いた」という講演を踏まえて考えている。

講演を主催したのは国立民族博物館と日本経済新聞社だ。講演内容は二つだった。最初はアフリカで誕生した人類が初めて海を渡りオセアニアに移動していった話で次はベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に行った話だ。

後者の方に関心が高いので後者の話をしよう。

人類が何万年か前にベーリング海峡を越えてロシア側からアラスカ側に渡ったことは漠然とは知っていた。しかしどのようにして渡ったのか?などということは深く考えたことはなかった。

民族博物館の関教授によると、人類がベーリング海峡を越えたのは氷河期の頃(最近の氷河期は1万万年位前に終わっている)。氷河期には蒸発した海の水が氷となって陸地に残るため、海の水が減って陸地が増える。だからベーリング海峡も陸続きの状態になり歩いて渡ることができたというお話。それまで私は人類は氷結したベーリング海峡を歩いて渡っていたのか?と思っていたが、一つ賢くなった。

関教授によると南北アメリカを通じて「最初のアメリカ人」の現存する遺跡としてもっとも有力視される遺跡がチリ中部のモンテ・ベルデ遺跡で1.3万年くらい前のものらしい。

氷河期の最中ベーリング海峡を越えた人類は何千年かかけてアメリカ大陸を北から南まで移動したようだ。

ところが関教授によると氷河期の北米今のカナダがある部分は東から西まで巨大な氷床に覆われていて人類が移動できるような状態ではなかった。巨大な氷床に南北を貫く「無氷の回廊」が出現するのは1.2万年位前なので、人類はいかにして南下したか?という疑問が起きる。少なくとも1.3万年の何百年か前に南下を始めていないと辻褄が合わなくなるからだ。

それに対して関教授は北米大陸の西海岸沿いを船で南下したと考える説が有力だと示唆していた。

でも次々色々な疑問が起きてくる。ベーリング海が歩いて渡ることができる頃、更にはベリーング海峡までユーラシア大陸東岸を北上できる頃、ベーリング海より南の北米北部にはどうして巨大な氷床があったのか?などなど。

でも最大の疑問は何故人類はアメリカ大陸を縦断するという壮大な旅にでたのか?ということだ。

この点講演された先生方にもまとまったアイディアはなく「環境要因などが考えられるが人間が持つ好奇心といったものを考慮に入れないと説明がつかない」といった説明だった。

★    ★    ★

人類学にも考古学にも何の知見も持たない私だが、この問題つまり「人類はどうして遠くに行くのか?」という点についてある仮説を持っている。

それは「人間の基本的な遺伝子の中に『未知を求めて遠く旅をしなさい』という命令が組み込まれている」というものだ。

うろ覚えだがコーランの一節に「未知を求めて遠く旅するものに幸いあれ」という句があった。

強い繁殖力と火と武器を持つことによって野生動物を捕食する力を持つようになった人間がひと所に留まると縄張り争いが起きて共食いが始まる。そうなる前に新しいフロンティアを拡大しろというのが遺伝子の命令だ。また定住生活では血が濃くなっていくという遺伝上の問題が発生するが、移住や旅人との交流はそれを防ぐ。古代の日本では地方の人は都から旅人を「貴種」として娘に夜伽をさせたという話を聞くがこれはまさに古人の知恵だ。

旅は情報をもたらす。マルコポーロの東方見聞録は、西欧人に日本の黄金に対する強い興味を引き起こし、それが大航海時代につながっていく。旅は人類発展の原動力なのだ。

学問って面白いなぁ。そして学がなくても空想を巡らせるってもっと面白いなぁと思った次第。

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