最近「シュリーマン旅行記清国・日本」(シュリーマン著。石井和子訳 講談社学術文庫)を読んだ。トロイ遺跡発掘で有名なシュリーマンが中国・日本を訪れたのは1865年(明治維新の3年前)、今から150年も前の話である。石井さんによる訳書の初版が1998年だから目新しい本ではない。だが今読んでもシュリーマンの偏見にとらわれないモノの見方に触発されるところが多い。
東大名誉教授の木村尚三郎氏の解説から少し引用しよう。
「長く滞在すればその土地が分かる、というものではない。いやむしろ、返って分からなくなっていく。長く住めば、地元民と同じ眼を持つようになるからである。・・・・自分のことをもっとも知らないのが、自分自身であるのと同じである。・・・短い滞在期間(1ヶ月)であったからこそ、シュリーマンの眼はつねに新鮮で、客観的であった。」
木村名誉教授は解説の中で「アレクシス・ド・トクヴィルの「アメリカの民主政治」を引いて、150年以上経った今日でも、これを抜くアメリカ論は出ていない」と述べているから、シュリーマンの旅行記はそれに比肩する卓抜した日本論と高い評価を与えていることになる。
比較的読み易い200頁弱のこの本を読むと、昨今の中国のオーバープレゼンスに眉をひそめている人は溜飲を下げる思いがするだろう。私自身は中国についてかなりmixしたsentimentを持っている。漢詩、歴史小説に代表される中国文明大好き人間である一方、中国人の環境意識の低さなどには少々辟易しているからだ。
150年前に北京から万里の長城に旅したシュリーマンも中国人の不潔さや官吏の腐敗ぶりに辟易している。「どこへ行っても、陽光を遮り、呼吸を苦しくさせるひどい埃の襲われ、まったくの裸か惨めなぼろをまとっただけの乞食につきまとわれる」(第一章 万里の長城)
シュリーマンは中国の偉大な文化遺産の崩壊に心を痛めている。「途方もない費用をかけて建設したこの壮大な建築物(景教寺院や孔子廟など)を、いまや退廃し堕落した民族が崩壊するにまかせているのを目の当たりにするのは、じつに悲しく、心痛むことだ」(第一章 万里の長城)
日本に来たシュリーマンは日本人のきれい好きを絶賛する。「日本人はみんな園芸愛好家である。日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本になるだろう」(第四章 江戸上陸)「(横浜の豊顕寺を訪問して)どの窓も清潔で、桟には埃ひとつない。・・・僧侶たちはといえば、老僧も小坊主も親切さとこのうえない清潔さがきわだっていて、無礼、尊大、下劣で汚らしいシナの坊主たちとは好対照をなしている」(第五章 八王子)
だがシュリーマンは物質面における日本人の文明度を高く評価」しながら精神面における日本人の文明度に疑問を投げかけている。「もし文明という言葉が物質文明を指すなら、日本人はきわめて文明化されていると答えられるだろう。なぜなら日本人は、工芸品において蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達しているからである。」「だがもし文明がが心の最も高邁な憧憬と知性の最も高貴な理解力をかきたてるために、宗教の中にある最も重要なことを広め、定着させることを意味するならば、確かに日本国民は少しも文明化されていないと言わざるを得ない。」(第七章 日本文明論)
ここでシュリーマンがいう宗教は本人が述べるように「キリスト教徒が理解しているような意味での宗教」である。
シュリーマンの日本人の宗教観に対する観察は鋭い。「これまで観察してきたことから、私は、民衆の生活の中に真の宗教心は浸透しておらず、また上流階級はむしろ懐疑的であるという確信を得た。ここでは宗教儀式と寺と民衆の娯楽とが奇妙な具合に混じり合っているのである。」(第六章 江戸)
「キリスト教徒が理解しているような意味での宗教」と「日本人の宗教」について具体的な説明はないが、私流の解釈を加えると前者は「死後における神による審判」を前提とした宗教であり、後者は「現世利益色の強い」宗教観といえる。現世利益の思想は、時に肉体としての命への過剰なまでの執着を生み、持ってあの世に行くことの出来ない財産への執着は時に醜い相続争いを生む。
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それから150年。シュリーマンが絶賛した人々の暮らしの清潔さは今尚健在だが、それは甚だ狭い自己の居住空間に限られる話になってしまった。街ではケバケバしい色の看板が歩道にのしかかり、無秩序な電線が空を覆う。美しい町並みや田園風景は破壊されてしまった。
健全な財政を維持するために応分の税負担をしようという当たり前の意見は、生活第一という声に押され、世界の平和と発展に貢献しようという高邁な精神は事なかれ主義に足をすくわれる。もし今日シュリーマンが東京を旅することがあったとすれば、一世紀半前と同じある種の尊敬の念を日本に抱いたかどうかは疑問だ、と私は感じだ。