金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

銀行というジェットコースター~半沢直樹が戻ってくる

2020年07月04日 | うんちく・小ネタ

2週間後の7月19日から「半沢直樹」が再スタートする。それを前にして明日日曜日から前回の粗筋をまとめた総集編が始まるので楽しみしている人も多いだろう。

総集編を見るかどうかはわからないが、私は前回の作品の原作である「オレたち花のバブル組」(池井戸潤)を読み返してみた。

その中に銀行に身を置いたことのある人ならかなり共感を覚える一文があった。

「銀行に入った者は皆、見えないレールの上を走るジェットコースターの乗客だ。最初はゆっくりと走り出すが、次第に行程はきつくなり、やがて急流の上を渡り、断崖絶壁を疾走する。難所急所の連続する長旅だ。・・・・出世する者としない者との見極めはすでに二十代から始まっており、四十を越えるとすでにコースターの同乗者は閑散としてくるのが現実だ。・・・そしてコースターの搭乗組と脱落組との間には、経済的にも心理的にも埋め難い溝ができる」

これはバブル景気華やかな時に当時の三菱銀行に入行して7年ほど銀行員生活を送った池井戸潤氏の銀行員半生を俯瞰した意見である。社内競争の激烈な都市銀行とその他の業態ではジェットコースターが走るコース設定にはかなり差があると思う。また銀行界を取り巻く経営環境の厳しさから早い時期から乗客をふるいにかける急カーブが登場するようになるなど厳しさは増していると思うが大きな構造はこのとおりだと思う。

ただこの時点で作者池井戸潤氏の視野は「ジェットコースターが終わった後」まで届いていない。

私はジェットコースターを降りてかなりの年数が経つが年を経て見えてきたものがある。

まず人生の幸福とか不幸とかはコースターから早く降りたか、手すりを握りしめて頑張っていたか、で決まるものではない、ということだ。

手すりを握りしめてがんばっていた人の中で病気で命を落としたり、重篤な健康状態に陥っている人を私は何人も知っている。もっとも「手すりを握りしめて頑張っていた」ことが命を削ることにつながったのかどうかを判断するにはもっと多くの事例を科学的に分析する必要がある。反証を一つ上げるとすれば、早くコースターを降りた人の中にも病気で命を落とした人もいるから、寿命とキャリアの間に強い相関関係があると考えてよいかどうかも疑問である。

また「やり甲斐」「生き甲斐」まで話を拡げると、早くジェットコースターから降りた方が良いのか手すりにしがみついていた方が良いのかはまったく分からなくなる。銀行を止めて家業を継いで頑張ったり、士業で長く活躍している人もいる。

まあ、どんな人生が良いのかなんて過ぎてみないとわからないのかもしれない。

 

 

 

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徒然草を読む(26)~住まいは人をあらわす

2020年07月04日 | 本と雑誌

コロナ騒動は人と住まいのあり方に一石を投じたのではないか?と思う。

緊急事態宣言が発令される前に顧問先でテレワーク環境をアンケート調査を行ったところ、私にとっては意外だったが、自宅にスペース面でテレワーク環境が整っていない人の割合が高く、考えさせられた記憶がある。

子育て時代ははるか昔になり、今では老夫婦二人で広くなった?自宅を持て余している。しかし狭かった社宅時代などを思い出すと自宅にテレワーク環境はほとんどなかったことに気が付く(もっともその頃はネットワークやPCがなくテレワークは不可能だが)。

あの頃は働きバチだったのだなぁと思う。だが今の時代もっとワークライフバランスを考えるべきではないか?と思う。

コロナ騒動で在宅勤務や自宅待機が増えて、「住まい」の質や広さなどを人生設計の選択肢における優先順位を高めても良いと考える人が増えているのではないか?と考えている。これまでは「職場への距離」「通勤時間」の優先順位が高かったと思うが、働き方が多様化すると「通勤時間」の順位を下げて「住まいの快適さ」の順位を上げて良いのではないか?と思う。

さて徒然草第十段の前半は「住まいで主人の人柄がわかる」と論じている。

書き出しはこうだ。「家居(いえゐ)の、つきづきしくあらまほしきこそ、仮の宿りとは思えど、興あるものなれ」

「つきづきしく」は「につかわしく、調和がとれている」という意味。したがって「全体の調和がとれて感じのよい住まいは、人生の仮の宿とはいえ心をひきつけるものだ」というだ。

調和がとれているのは、住居の建物と庭や調度品のバランスが取れていることを指すとともに、住む人の心持に似つかわしいという意味でもあるだろう。

兼好法師は「唐の、大和の、めづらしく、えならぬ調度ども並べ置き・・・見る目も苦しくいとわびし」(輸入品・国産の豪華家具で飾り立て(庭の植え込みを自然破壊した)住まいは見た目もうっとうしく、うんざりだ)と続ける。

これは現代の住居にも当てはまる。自宅で過ごす時間がながくなることを考えるとなによりも全体の調和が大切だ。調和の生み出す安定感が心の安らぎを招く。

家具類について私は豪華なものを取りそろえる必要はないが、長く使うことを前提に堅牢なものを買うことをお勧めしたい。自分の経験からいうと安いものはやはり寿命が短く金具類などからボロがでることが多い。

予算の点からすべてについて気に入ったものを揃えることは難しいことが多いと思うが、長く使う可能性が高いテーブルなどは少し奮発しても良いと思う。気に入った家具を使うという思いが自宅で過ごす時間を大切にする気持ちにつながり、その気持ちがワークライフバランスを見直す気持ちにつながると思う。

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