2週間後の7月19日から「半沢直樹」が再スタートする。それを前にして明日日曜日から前回の粗筋をまとめた総集編が始まるので楽しみしている人も多いだろう。
総集編を見るかどうかはわからないが、私は前回の作品の原作である「オレたち花のバブル組」(池井戸潤)を読み返してみた。
その中に銀行に身を置いたことのある人ならかなり共感を覚える一文があった。
「銀行に入った者は皆、見えないレールの上を走るジェットコースターの乗客だ。最初はゆっくりと走り出すが、次第に行程はきつくなり、やがて急流の上を渡り、断崖絶壁を疾走する。難所急所の連続する長旅だ。・・・・出世する者としない者との見極めはすでに二十代から始まっており、四十を越えるとすでにコースターの同乗者は閑散としてくるのが現実だ。・・・そしてコースターの搭乗組と脱落組との間には、経済的にも心理的にも埋め難い溝ができる」
これはバブル景気華やかな時に当時の三菱銀行に入行して7年ほど銀行員生活を送った池井戸潤氏の銀行員半生を俯瞰した意見である。社内競争の激烈な都市銀行とその他の業態ではジェットコースターが走るコース設定にはかなり差があると思う。また銀行界を取り巻く経営環境の厳しさから早い時期から乗客をふるいにかける急カーブが登場するようになるなど厳しさは増していると思うが大きな構造はこのとおりだと思う。
ただこの時点で作者池井戸潤氏の視野は「ジェットコースターが終わった後」まで届いていない。
私はジェットコースターを降りてかなりの年数が経つが年を経て見えてきたものがある。
まず人生の幸福とか不幸とかはコースターから早く降りたか、手すりを握りしめて頑張っていたか、で決まるものではない、ということだ。
手すりを握りしめてがんばっていた人の中で病気で命を落としたり、重篤な健康状態に陥っている人を私は何人も知っている。もっとも「手すりを握りしめて頑張っていた」ことが命を削ることにつながったのかどうかを判断するにはもっと多くの事例を科学的に分析する必要がある。反証を一つ上げるとすれば、早くコースターを降りた人の中にも病気で命を落とした人もいるから、寿命とキャリアの間に強い相関関係があると考えてよいかどうかも疑問である。
また「やり甲斐」「生き甲斐」まで話を拡げると、早くジェットコースターから降りた方が良いのか手すりにしがみついていた方が良いのかはまったく分からなくなる。銀行を止めて家業を継いで頑張ったり、士業で長く活躍している人もいる。
まあ、どんな人生が良いのかなんて過ぎてみないとわからないのかもしれない。