今日(7月22日)から始まるGo to キャンペーンに反対だ。「東京に住んでいる人には補助金がでないから反対なの?」という声があがるかもしれないが、そんな狭い了見で反対している訳ではない。
コロナウイルス感染拡大基調が続いている中で旅行を推奨するのはどうか?という意見もある。これには部分的に賛成だ。
週刊文春によると旅行業界から多額の政治献金が自民党の二階幹事長に流れているらしい。旅行代金の補助やキャンセル料の税金負担のドタバタぶりを見ると制度設計の裏に政治家の意向が働いていることは間違いないだろう。こんな歪められたキャンペーンはやめた方が良いという意見にも賛成だ。
だが私がGo to キャンペーンに反対するもっと根本的な理由は、旅は「旅に出たい」という内発的な心の動きにより行うもので政府が尻押しするようなものではない、という点だ。
補助金が出るから行く、出ないからいかないなどという発想は貧弱過ぎる。
芭蕉は「奥の細道」の冒頭で「そぞろ神のものにつきて心を狂わせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず」と述べている。旅に出たい、漂白したいという思いが募り、取るものも手つかずの状態になり、旅にでたという思いがひしひしと伝わってくる。
日本人は旅が好きだ。いや日本人だけでなく世界の多くの人は旅が好きだ。
なぜ旅が好きなのか?それは旅にでると新しい発見があるからだ。その新鮮な感覚が生きている自分を再認識させるからだ。
兼好法師は「いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ目覚むる心地すれ」という言葉でこの新鮮な感覚を表現している。
旅に出たいという気持ちが臨界点に達すれば、コロナウイルス問題があっても旅に出てよいと思う。他人への感染防止は最大限努力するべきだが、逼塞する必要はない。逼塞は緩慢な死だからだ。
逆に補助金が出ても、コロナ感染の不安が旅に出たい気持ちを上回るなら旅に行かないだろう。
だからGo toキャンペーンのような政府が旅の尻押しをするような企画には反対だ。
観光業界を支援するのであれば、ダイレクトに補助金を出す方が良いのではないか?と私は思う。