今朝の日経新聞(大機小機)は「いつの間に後進国になったか」
色々な分野で日本の後進性をあげている。
- コロナワクチン 英英独中ロのような開発国になれず、接種率は世界100番目
- デジタル後進国
- 福島原発を経験しながら「環境後進国」再生エネルギー開発で欧州中国に大差をつけられ、電気自動車でも大きく出遅れ
- 世界120位の「ジェンダー後進国」
- 人権重視が世界の潮流になる中での「人権後進国」
- 「財政後進国」
日経新聞は「日本が後進国に転落した背景には、政治・行政の劣化がある」と述べ「科学的精神と人道主義に基づいて民主主義を立て直し、資本主義を鍛えなおさないかぎり、先進国には戻れない」と結んでいる。
もちろん政治や行政が劣化していることは間違いないが、その背景には劣化を良しとしてきた国民全体にも問題があったというべきだろう。
それは何か?というと「好奇心」「冒険心」といった新しいことにチャレンジする精神を軽視し、低い次元の安全性や完全性を求めたことだ。
企業は革新的技術を開発し、新しいマーケットを開くよりも、価格競争で既存のマーケットシェアを拡大することに努める。短期的にはその方がリスクが少ないと見えるからだ。
サラリーマンは新天地に飛び出して新しいポジションで活躍するよりも、従来の椅子にしがみつくことに汲々とする。
学生は就職のために試験の成績をあげることに汲々として世界に飛び出し、海外の多くの人々と触れ合うような余裕はない。
社会の中で僅かな成功をおさめたものはそれを守ろうとして既得権益を囲い込む。
だから大きな技術革新が起こらない。だから大きな構造変革が起こらない。
必要なことは教育・採用・人事考課・抜擢などあらゆる局面で「好奇心」「冒険心」「チャレンジ精神」を「暗記力」「調整能力」など現状維持型の能力の上位に位置付け、そのようなマインドを持った人材を登用することだ。
そのためには社会における人材評価基準が変わることが必要なのだ。
日本が後進国に陥っているとするならば、その最大に理由は人材評価基準が古すぎることにある。