5週間にわたり続いたインドの総選挙が終わり、最大野党のインド人民党(Baharatiya Janata Party BJP)の地滑り的な勝利が決まった。新首相にはBJPの党首ナレンドラ・モディ氏が就任する予定だ。
今朝(5月17日)の読売新聞の一面には「インド10年ぶり政権交代」のタイトルの横に「親日モディ氏 首相就任へ」というサブタイトルがついた記事が出ていた。
私はこの「親日」という文字をみてある種の苦笑を禁じえなかった。何故かというとそれが余りに日本中心で楽観的な見方だからである。確かに今までグジャラート州の首相を務めてきたモディ氏が日系企業向けの団地の整備を行うなど親日的であったことは間違いないし、全般的にインド人が親日的であることは事実だろう。
日本人は外国のリーダーに対して、彼(または彼女)が親日的であるかどうかを非常に気にして早々に評価を下す傾向があるが、その国のリーダーは親日的であるかどうかの前に自国(または自州)の利益のために日本が役に立つかどうか?で行動しているということを最初に考えておかないといけないだろう。
モディ氏については、アメリカとイギリスは約10年前から渡航禁止(ビザの発給禁止)を行っている(イギリスは2012年の渡航禁止を解除した)。
米英がモディ氏の渡航を禁止した理由は、2002年にグジャラート州でイスラム教徒とヒンドゥー教徒の衝突が起き、ヒンドゥー教徒が多数のイスラム教徒を殺害した事件があった時、同州首相だったモディ氏が「見ぬふり」をしたことによる(これは当然ながら米英の判断だが)。
米国には宗教的自由に対して重大な違反を行った外国人にはビザを発給しないという法律があり、それに基づいて渡航が禁止された訳だ。
仮にそのようなことがなくて、モディ氏が米国に渡り、予定されていたインド人集会で演説を行っていたとすれば、米国と親密な関係が広がり、その結果特段親日的といわれることはなかったかもしれない。
歴史にifは禁物という。私もiffyな話を続けるつもりはないが、メディアによるとアメリカはモディ氏が首相になれば渡航禁止を解除する見込みだ。歴史は前に向かって動いている。
アフガニスタンからの撤兵と台頭する中国に対する軍事経済的なリバランスを図りたいアメリカにとってはインドとの関係改善は最大級の課題だ。
一方モディ氏には渡航が禁止されたという悪感情はあると思うが、恐らくそれは横においてアメリカとの関係改善を図るだろう。
その理由はヒンドゥー過激派ともいわれるモディ氏だが選挙公約の一つが「インドに寺院よりもっとトイレを」考えると外交面でも現実的な対応をとるだろうと私は考えている。
ヒンドゥー教の神々は二つの顔を持つという。シヴァ神には吉祥と不祥、破壊と恩恵の二つの顔があり、いずれも真実の姿である。この考え方に立つと、モディ氏が熱心なのヒンドゥー教徒であるとともに経済成長の推進者というのは矛盾なく両立するのだろう。
繰り返していうが、親日的であるとかないとかいうことは、そのリーダーにとって本源的なものでなく、その時日本と組んだ方が国益につながるかどうかで態度は決まる・・・という程度に理解しておいた方が、逆を打った時の失望感が少ないような気がする次第。