金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

孫子の国宝

2007年04月12日 | うんちく・小ネタ

山梨県に花見に行って風林火山の旗を沢山見たせいか「孫子」づいている。今日は私の好きな「理想の将」に関する一節について話をしたい。孫子は地形編の中で「進みて名を求めず、退きて罪を避けず、ただ民をこれ保(やす)んじて、而して利主に合するは国の宝なり」という。

「功績があっても名誉を求めず、失敗があれば責任を回避しない。ただ人々の生活の安寧い努め、主君の利益を図る。この様な将は国の宝である」という主旨だ。この一節の前には「将というものは主君が戦うなといっても、勝算があれば戦うべきだし、逆に主君が戦えと言っても勝算がなければ戦ってはいけない」という文章が来る。この様な態度であれば、主君の機嫌を損ねることがあるかもしれないが、それでも主君の利益のために甘んじるのである。逆命利君ということだ。

というと「それでは権限違反じゃないか。コンプライアンス上認められる話ではない」といった反論がどっと来そうだ。そこでもう少し掘り下げて考えてみよう。

一つは「将」は戦争のプロで、代々世襲の「主君」は戦争のプロでないということだ。今日的な例えでいえば、「主君」は株主で「将」はプロの経営者と考えた方が分かり易いだろう。つまりこの孫子の一文を株主・経営者に当てはめると「真の経営者は株主がやれということでも、会社の利益に反すると信じることはやらない。逆にやるなということでも会社の利益になることはやる。利益をあげても名声や過大な報酬を求めず、失敗すれば甘んじて辞職する。ただ株主の真の利益を図って倦むことがない。これは会社の宝である

確かにこの様な経営者がいれば、会社の宝であろう。しかし現実的には短期的な利益を求める株主の圧力を抑えて、長期的な会社の利益を追求することは難しい。それを貫徹するために時として企業はマネジメントバイアウトのような非公開化を行なうのである。

別の切り口から考えると「将」は「ファンドマネージャー」などの専門性の高い仕事にたとえることもできるだろう。この場合君主は社長・役員といったゼネラルマネージャーだ。ゼネラルマネージャーがプロフェッショナルに口出しし過ぎることを孫子は戒めている。

謀攻編の「軍の以って進むべからざるを知らずしてこれに進めといい、退くべからざるを知らずしてこれに退けというは、これ糜軍という」という一文がそれだ。糜軍は半身不随、戦争を知らない君主の口出しで軍は半身不随となると孫子は戒めている。

孫子は二千五百年程昔に書かれた本であるが、読み方によっては専門性が求められる現在の企業社会にも有用な指針を与えてくれる。

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