前のブログで「勝っても名誉を求めず負けても責任を回避せず、ただ民の安寧を図り、主君の利害と一致する。この様な将は国に宝だ」という孫子の文章を引用した。この様な将軍は多くない。むしろ愚劣なインパール作戦で無意味に多くの将兵を殺した~しかも大半は飢えと病気で~牟田口廉也中将の様な無責任で仁のカケラもない将軍の方がはるかに多い。
たまたま読んでいた「わたしの唐詩選」(中野孝次)の中に「劉長卿の李中丞の漢陽の別業に帰るを送る」という詩が出ていたことを思い出した。
流落す 征南の将 かって駆る十万の師 罷(や)めて帰って旧業なく
老い去って明時を恋う
意味は「かって10万の大軍を指揮した征南将軍李中丞が官職を失い、(いくさの間に私財を投じて兵士を助けたため)落ちぶれて漢陽の別荘に帰っていく。年老いたあなたは昔の栄光を恋しく思っている
独立 三辺静かに 軽生 一剣知る 茫々たり 江漢のほとり 日暮 いずくにか之(ゆ)かんと欲す
李将軍がいたので国の三つの辺境は静まっていた。身を捨てて国に尽くしたことは一振りの剣だけが知っている。茫々たる漢陽江に船を浮かべて将軍はどこに行こうとしているのか
まさにこの様な人こそ孫子が言う「国の宝」の将軍である。
ところでインパール作戦で兄を亡くした中野孝次氏は許しがたい思いで次の様に述べている。
陸海軍で幅をきかし、時を得顔にふるまっていた将軍連は、大抵がただ空威張りするだけの、戦さも知らず兵を思いやる心もないバカ共だったのが、日本の不幸であった。そして彼らの無責任な心情はそのまま戦後にも引き継がれ、今は官庁や、銀行や、商社うあ、警察にまで、戦争中の将軍と同質の連中がのさばっている有様なのは、情けないともなんとも言いようがない。
私はインパール作戦や官庁、警察のことは知らない。ただ私が身を置いたことがある銀行に関して言えば、中野氏程こき下ろす積りはないが、今日的な金融理論や金融技術に疎いばかりか学ぼうともしない連中が妙に偉くなるという傾向はあった。
これは諜報活動やレーダーやロケット砲といった新鋭兵器の開発を等閑視して、陸軍参謀本部の中で空理空論を振り回し、席次争いに明け暮れていた旧日本陸軍の縮小版と言えないこともないという気はする。以上は自戒をこめた言葉でもある。