NHKの大河ドラマ「風林火山」を観ている。大河ドラマの中では面白い方だと思う。山本勘助を演じる内野聖陽(ウチノマサアキ)が良い。シリアスさと飄逸さのバランスに味がある。内野さんのドラマはNHKの「蝉しぐれ」のころから注目していた。ただ今でも聖陽のマサアキという読み方を時々忘れることがある。熱心なファンでないといういうことかあるいは単に物忘れする年代になったということか?
それはさて置きドラマの中では山本勘助の進言で「風林火山」が武田軍の旗印になった。
風林火山の原文(読み下し)は「孫子」軍争編にある。
その疾(はや)きことは風の如く、その徐(しず)かなることは林の如く、侵掠することは火の如く、動かざることは山の如く、知り難きことは陰(かげ)の如く、動くことは雷ていの如し
この一文は「孫子」の中で語呂が良いし、旗印にはふさわしい。では風林火山の中でどれが一番味わい深いか?と問われれば私は「動かざること山の如し」をあげたいと思う。何故かというと「派手な攻撃」よりも「受けと反撃」に戦いの真骨頂があるからだ。
大阪夏の陣で、伊達勢の騎馬鉄砲隊と真田幸村の一隊が激突したことがあった。騎馬鉄砲隊というのは馬上から鉄砲を撃ちかけながら進み、程よい距離から一斉射撃をした後、突撃して相手を蹴散らし切り崩す部隊である。これを迎え撃つ真田幸村は兵に敢えて冑を外させ、槍も横に置かせた。そして騎馬鉄砲隊が約千メートルに迫って初めて冑を着用させ、さらに2,3百メートルに迫って槍をとらせた。そして全員を折しかせ、相手の射撃に耐えたのである。
ここが大切なところだ。もし幸村隊が騎馬鉄砲に動揺して浮き足だっていたらどうなっていたか?たちまち騎馬鉄砲隊の蹄鉄に蹂躙されていたろう。幸村は騎馬鉄砲による射撃の威力はそれ程のものではないが、心理的恐怖感が大きいことを知っていたのである。だから彼は「動かざること山の如く」真田隊を折しかせたのである。
幸村に全幅の信頼を置く真田の兵士達は、騎馬鉄砲隊の射撃に良く耐え、彼等を引き付けてから槍の穂先を挙げて一気に反撃に転じた。これに騎馬鉄砲隊の馬は驚き棒立ちとなり全軍浮き足立って総崩れとなった。
戦争とは心理戦である。恐怖心に駆られ浮き足立ち逃げるものはたちまち敵の手にかかってしまう。従って「動かざること山の如し」というのは、中々難しいが戦いの要であろう。
孫子はこのことを別の言葉で表現する。それは風林火山の少し後に出てくる「正正の旗を要することなかれ。堂堂の陣を撃つことなかれ」という一文だ。
これは十分な備えを持ち一糸乱れない敵をまともに攻めるなという教えだ。もし伊達隊の司令官が粛々と折りしく真田隊の尋常ならざる堂堂さにただならざるものを感じ、対応を変えていたら総崩れはなかったかもしれない。
現在「三角合併」の解禁等で外資や大手企業による買収に恐々としている会社が増えている様だが、一度この「正正の旗」「堂堂の陣」の一文を思い起こしてはどうだろうか?
「山椒は小粒でも辛い」と言うが、例え規模は小さくとも「正正の旗」を掲げる企業にはそう易々と買収など仕掛けられないのではないだろうか?