金融機関にとって退職者・高齢者は「金のなる樹」だという主旨の記事がエコノミスト誌に出ていた。原題はFrom cheque books to checking pulses、つまり「小切手帳から脈拍まで銀行が面倒見ます」という話だ。ただし誰の面倒でも見てくれる訳ではない。銀行に面倒を見てもらうには、一定額の運用資産が必要だ。無論日本でも退職者の資金を取り込むことに金融機関は熱心だ。だがここまでのサービスは提供していない。色々な面で参考になる話なので記事の概要を紹介しよう。
- 2006年に米国の77百万人のベビーブーマーの第一陣が60歳を越える。専門家によると65歳の夫婦のうち一人は90歳まで生きる勘定になる。
- しかし政府の財源は制約され、企業の確定給付年金廃止は増え続けている。年を取ったベビーブーマー達はより多くの長生きリスクを背負っている。ワコビア銀行の退職者グループのボス・ロバート レイド氏は「我々はこれをyo-yo環境と呼ぶ」と言う。
Yo-yo環境とはYou're on your own直訳するとあなたはあなた自身の上にあるということ。米国では貯蓄は少なくヘルスケアのコストは高い。年を取るということは寒々として暗いということだ。
- しかし銀行にとってこの不安定さ・危険Insecurityは巨大なチャンスだ。コンサルタント会社・マッキンゼーによると米国では退職後5年から10年経過した人々が個人金融資産の約三分の一を保有するという。HSBCは全世界で55歳以上の人が63兆ドルつまり地球上の約7割の富を保有すると言う。
- しかし「高齢者の信頼されるアドヴァイザー」という役割は大銀行の自ずから定まった役割ではない。
- 大手銀行例えばウエルス・ファーゴでは「高齢者サービスグループ」というグループを作っているが、その部門の典型的な顧客は投資資産100万ドル以上を持つ60歳以上の人である。手数料は管理資産の2%で、顧客は金融面のサービスだけでなく、看護施設の選択から薬の受取り、眼が悪くなった時には運転手の紹介や葬儀のアレンジといった様々なサービスを受ける。
日本の銀行がこの様なサービスを本体で提供することは、銀行法の制約のため無理である。米国の銀行がどの様なアレンジメントでこの種のサービスを提供する仕組みを作っているかは今分からない。今後の研究課題だ。
- シティグループは異なったアプローチを取る。シティは富裕顧客のため、17の地方のプランニング・センターを建設している。対象は退職時期が近い投資可能資産5百万ドル以上の富裕層だ。
- もう少し運用資産が少ない層を対象にした仕組みの方が日本の金融機関には参考になるだろう。例えばワコビア銀行の場合25万ドル以上の預金を持つ顧客に対してフリーで退職相談を行なうプログラムを開発している。
- また金融商品の販売方法を見直している銀行もある。HSBCは自行の退職者を再雇用して金融商品の販売を行なっているが、これは同年齢層の顧客に良い印象を与えることを目的としている。
この辺りは日本の金融機関も同様だろう。日本では昨年から雇用延長法が実施され、60歳到達者の嘱託再雇用が増えている。金融機関でも再雇用者が同年代の顧客に金融商品を販売する傾向が増えている。私はこの話を聞く度に中国の三国時代の英雄曹操の息子曹植(そうち)の詩を思い出す。「豆を煮るに豆柄をもってす」というものだ。
- 売れている金融商品は個人年金だで昨年の販売額は2,360億ドルだった。これは10年前の倍以上の水準に達している。また元本保証商品の人気も高まっている。
元本保証商品、原文ではPrincipal-protected notesで、このnoteというのは契約証書という意味。日本では元本保証型信託などがこれに該当する。元本保証を行なう代わりに配当に上限を設定することが多い。私はこの様な仕組み商品は「アレンジャーの抜きが多い」ので推奨しないが、金融教育が進んでいると思っていた米国でも良く売れると聞いて少し呆れている。
エコノミスト誌はこの後、最大の可能性を秘めているのはリバースモーゲージ市場だと言う。マッキンゼーによると退職者と間もなく退職するものの8割は自宅保有者で3兆ドルというuntapped nome equityの上に座っているという。untapped nome equityというのは、自宅の市場価値と住宅ローン等負債の差である。この価値はリバースモーゲージを使ってキャッシュ化される可能性があるというのだ。
以上のような可能性を秘めた退職者市場だが、エコノミスト誌は金融商品の販売で訴訟等の係争案件が増えていることに警鐘を鳴らしている。米国では証券業協会が個人年金販売に関して過去6年間で358件の強制執行を行なっている。
エコノミスト誌は「仕組みが複雑な金融商品や、手数料がかかり料金体系が複雑な金融商品を販売する時には特に高齢者が理解しているかどうかを確認することが必要」という。
以上が記事の主旨だ。金融機関に相手されるには、そこそこの資産を金融機関に委ねないといけないということだが、下手に金融機関の勧めるままになっていると不要な商品を買わされる危険も高いということだ。
ところでこれから先は私の意見なのだが、金融機関に相手にされる程の資産がない人はどうすれば良いのか?ということを考えてみた。その方法は私は「善意・ボランティアの貯蓄」ではないか?と考えている。
つまりある人が慈善活動で高齢者のお世話をしたとする。そうするとそのサービス内容がポイントの様な形で公的機関つまり市町村等に記録される。そしてそのサービス提供が逆にサービスが必要となった時に、そのポイントを使ってサービスを受けるというものだ。
明治のキリスト教伝道者・内村鑑三は人生の目標として「まず事業を残せ、そしてそれが出来ないのであれば金を残せ、そしてそれも出来ないなら爽やかな生き方を残せ」と言った。
金融機関は金持ちしか相手にしないが、我々はボランティア活動等爽やかな生き方も一種の社会的貯金として、老後に引き出せる仕組みを考えないと超高齢者社会を乗り越えられないかもしれないというのが私の問題意識である。もっともこの様な見返りを期待した行為が純粋なボランティアなのかという批判はあるだろうが、プラクティカルにはこの様なボランティアと蓄積市場とかスワップ市場を創出しないと活力ある超高齢者社会を作ることはできないかもしれない。