金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

一点の素心(山口 瞳の場合)

2008年10月13日 | うんちく・小ネタ

「一点の素心」という言葉はさわやかな言葉だ。沢山でなくて一点というところが良い。また良心など道学臭い言葉でなく素心というのが良い。私は素心をこれだけは守らないと人間としての矜持を失うものと理解している。我々サラリーマンも一点の素心は大事にしたい。

サラリーマンの支持が高かった山口 瞳のエッセー「新入社員諸君!(その一)」の中に「世の中には一宿一飯の恩義というものがある。三年間だけは黙って働け!やり直しが利くという若さの権利を行使するのは、義理を返してからにしてもらいたい」という一文がある。この文章が書かれたのは1980年、今から30年位前である。私が会社に入って5年目だ。あの頃そんなに直ぐ会社を辞める人は多くなかったと思うが、山口 瞳の回りでは多かったのだろうか?

それにしても転職というものは難しい。高い給料に魅せられて外資系の金融機関に転職するとサブプライム問題で職場を失う・・・ということもある。目先の損得にキョロキョロしたり、小さな浮き沈みに一喜一憂するのではない、生き方をしたいものだが言うは易くして行うは難しい。素心というのは控えめな言葉ながら、到達するには難しい境地である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

市場かく乱要因はマージンコール

2008年10月13日 | 金融

今日10月13日は体育の日で日本は休み。海外市場ではSPオーストラリアン指数が3.6%上昇するなど週末の主要国の金融安定化政策を好感していると見られる。私もこのブログで「先週末が転換点になるのではないか?」と書いているが、幾つかの不安材料はある。需給面の不安材料は株式担保ローンで資金調達をしている大口投資家やヘッジファンドの動きだ。

ニューヨーク・タイムズによるとマージン・ローンと呼ばれる株式担保融資では当初5割の掛け目を要求される。つまり1百万ドル自己資金を用意すればもう1百万ドル銀行から借りて2百万ドルの株を買うことができる。しかし株価が4割下がるとこのポートフォリオの価値は1.2百万ドルに低下する。そこで銀行は掛け目を維持するため、追加担保を入れるかローンの返済を求める。5割の掛け目を維持するためには、40万ドルローンを返済しなければならない。もし返済か追加担保差し入れができない場合は、担保株が強制的に売却される。

ニューヨーク証券取引所によると、この株式担保ローンの残高は今年6月末で3,810億ドルだったが株安で少し減少している。大口投資家の中には追加資金が捻出できず、株を売らざるを得ない先がかなりでているようだ。

ニューヨーク・タイムズの書き出しはMr.Margin is calling.というものだった。Marginは証拠金とか担保のこと。Margin callを追加担保(追証)の要求だ。大口投資家にとって最も声をかけて欲しくない人から声をかけられるリスクがある。

市場は底に近いとはいえ、まだまだ混沌とした動きをすると見ておくべきだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一点の素心

2008年10月13日 | うんちく・小ネタ

この前NHKのうんちくバラエティ番組カンゴロンゴを見ていたら、「一点の素心」という言葉が出ていた。「株式投資でお金儲けに必死になろうとすると逆に損をする。それを避けようと思うと心のどこかに澄み切ったさわやかな物を持っている必要がある」というような話だった。

「一点の素心」の出所は明時代の洪自誠が書いた菜根譚の中の「友に交わるにはすべからく三分の侠気を帯ぶべし。人となるには一点の素心を存するを要す」という文章だ。

この番組を見ていた人の中には、昨今の株安で心穏やかならずという人もいるだろう。私も心穏やかでない時もあるが、市場の目先の動きを追うだけでなく、少し遠くを見ていたい。

一点の素心とは何か?ということについては色々な解釈があるようだ。それはそれで良い。ウオーレン・バフェットのように、自分が株式運用で稼いだ金を総て慈善活動に残そうという考えもある。一点というには余りにも大きい点だが。

豊かな老後を送るために少し財産を増やそうというのも悪い素心ではない。豊かな老後は回りの人々も良い気持ちにさせるからだ。資産運用は豊かな人生を送る一つの手段で目的ではないということを再確認させるうんちく番組だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の日の台東区巡り

2008年10月13日 | まち歩き

10月12日日曜日さわやかな秋晴れなので、ワイフと河童橋の道具祭りを見てから台東区を巡ることにした。高田馬場に向かう途中西武新宿線の線路脇に朝顔が沢山咲いていた。朝顔は夏の花だと思っていたが、帰ってから調べてみると朝顔は秋の季語だということが分かった。

朝顔や一輪深き淵の色 与謝蕪村

さて台東区を巡るには貸し自転車が便利だと思い、地下鉄仲御徒町駅の駐輪場内にある貸し自転車屋に寄ったが、総てレンタル中。それではと新御徒町駅の貸し自転車屋に回るがこちらも総て出払っていた。皆さん同じことを考えるものである。

そこで徒歩で台東区を巡りを開始。御徒町スタートだから徒歩でも良いか?というところだ。

まず春日通から合羽橋通りに向かう途中の「誓教寺」に葛飾北斎のお墓を訪ねることにした。ところがこの辺りはお寺が多くて探すのにちょっと苦労した。あるお寺の裏口から入り、庭掃除をしている上品な住職婦人に道を尋ねたところ「ちょっと待ってください」とご婦人は庫裏に入られ地図を持ってこられた。何と誓教寺はこの通りをはさんだ向こう側だった。「こんなに近くても知らないってことがあるのだろうか?」と私は疑問に思った。道を尋ねたご婦人は住職夫人ではなかったのかもしれない。

この辺りはお寺の多いところである。「剣客商売読本」の中で南原幹雄がこう書いている。「田原町や稲荷町は寺院や仏具屋がおおい町だった。仏具屋は相かわらずだが、寺院の姿があまりみえなくなっていた。が、そうおもったのはまちがいで、寺も相かわらずあったのである。ただ、寺がみなマンションふうの建物になっているので、それとわからなかっただけなのだ

誓教寺の本堂もコンクリート造り。本堂の横に北斎の銅像があった。しかし墓地がどこにあるのか分からなかった。お寺の方を煩わすこともないので、銅像の写真を撮って立ち去る。

Hokusai

合羽橋道具街はこの三連休が道具祭りということで大変混んでいた。お客を集めているのは歩道に並べた安い食器類やロウ細工の食品の見本だ。スパゲティの模型が1,000円という具合に本物並みの値段である。レードル(注ぎ口がついたお玉)を一つ買っていく。

道具街の外れ、言問通りの手前に台東区中央図書館があり、ここに池波正太郎記念文庫がある。http://www.taitocity.net/tai-lib/ikenami/

Ikenamibunnko

図書館の中は撮影禁止なので外から一枚写す。左端に池波正太郎の写真が飾ってあるのが見える。

記念文庫に池波正太郎の生誕地記念碑が待乳山にあるというので、待乳山聖天へ向かうことにした。金竜小学校の少し北に台東区のコミュニティバス(めぐりんバス)の停車場があるので、ここからバスで待乳山のある墨田公園まで向かった。途中浅草寺を通ったが大変な人出だ。景気が良くないので都内見物でもしようという人が多いのだろうか?と考えたりする。

待乳山というと何となく言われがありそうな名前だが特にいわれはないという。昔は真土山と書いたから岩のない土の山ということだろう。前方後円墳ではないか?という説もあるが詮索は止める。

Matuchiyama

「聖天は娘の拝む神でなし」と詠まれたように本尊は男女抱合像(拝むことはできないと思うが)。お供え物の大根が沢山供えられていた。今も熱心な信者がおられるのだ。

公園の脇に池波正太郎生誕地の碑があった。

Seitanchi

待乳山から浅草までは墨田公園の中を歩く。桜やアジサイの季節はきれいだろう。隅田川の向こうに立つアサヒビール本社の上に秋の雲が広がっていた。

Asahibeer

その内もっと暇になると、池波正太郎の剣客商売を読み返して舞台となっている鐘ヶ淵などを散策してみたいと思う。今日はその小さな一歩だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする