「員数合わせ」とは旧日本軍の弊風で、部隊の備品の数を他所の部隊から盗んででも揃えるようなことを指す。旧日本軍では装備の数の点検が非常にうるさく、軍靴・毛布といった備品の数が規定数より少ないと体罰を加えられる。そこで不足を生じると、他所の部隊からかっぱらってきて数を揃えるようなことを員数合わせといった。
この弊風は今日の日本の官僚社会に脈々と生きている。旧社会保険庁において年金の掛け金額を間に合わせるため、加入者の標準報酬を低く改竄(かいざん)するなどは今日の員数合わせの好例である。
今話題になっている地方自治体の補助金不正経理にも員数合わせの悪習が残っている。不正経理の内職員による横領などは犯罪以外のなにものでもない。しかし制度的な問題から員数合わせを行っているケースもあるようだ。
今日(10月23日)の日経新聞朝刊によると「不正経理が横行する背景には、国の補助金制度と単年度予算に基づく国や自治体の会計制度が抱える問題点もある」ということだ。「補助金事業は自治体の判断では繰り越せないので、必要ないものを購入したり、業者への『預け』という形で不正に繰り越す手法がまかり通ってきた」(同紙)のである。
私は全体としては日本人は非常に優秀な人種だと考えているが、大きな弱点は役人を中心に(旧日本軍の中枢も戦闘員というより官僚だろう)、マニュアルや規則の改定を非常に嫌い、規則を現実に合わせるのではなく、現実を規則に合わせようとする点だ。
10月25日付の週間ダイヤモンドは「『歴史を知れば経済がわかる!」という特集を組んでいる。その中に「常時、継戦能力を維持した第二次大戦期の米国最強の秘密」(著者 矢澤 元)という記事がある。そこで著者は米軍の強さの秘密は「可動率保証」が優れていたからだと述べる。「可動率」とは「動かしたいときに動く率」で、戦いたいときに戦える能力ということだ。
著者は米軍がこの可動率を維持できた理由を絵や図を満載した分かりやすいマニュアルに求めている。このマニュアルは実戦の変化に対応できなくなれば、即、改訂された。
著者によると「一方、日本の場合、作戦要務令などのマニュアルを改訂する際は、天皇陛下のご裁許を必要とした」のである。
今回の不正経理の一つの原因である「補助金制度」の元になっている法律は昭和30年に定められた「補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律」で、その第三条に「関係者の責務」として「補助金等が国民から徴収された税金その他の貴重な財源でまかなわれるものであることに特に留意し、補助金等が法令及び予算で定めるところに従つて公正かつ効率的に使用されるように努めなければならない。 」という規定がある。
ここでちゃんと「効率的に使いなさい」という法の精神が示されているが、実行段階になると「事業が予定の九割で終わり国に返還しようとしたら『(予算をつけてくれた)大蔵省(当時)に顔向けできない』と怒られた」(日経新聞)といったことになる。これが員数主義である。
我々は遺伝子のどこかにこの「員数主義」を持っているのだろう。これは農耕民族である日本人の宿命なのだろうか?・・・・とも思えてくる。科学的判断ではなく直感的洞察だが。
我々は常に「員数主義に陥っていないか?」と自問する必要があるだろう。