金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

借金返済競争リスク

2009年04月17日 | 金融

4月14日にゴールドマン・ザックスがTarp(不良債権救済プログラム)からの出資金100億ドルを返済する目的で50億ドルの増資を行った。また16日にはJPモルガンチェースが増資を行わなくてもいつでも250億ドルの公的資金を返済できると宣言した。優良銀行による公的資金返済競争が起きつつある。優良銀行が公的資金返済を急ぐ理由は幾つかある。経営層に対する報酬制限の回避、外国人スペシャリストの雇用などによる競争力の確保などだ。

だが一部の優良銀行の返済競争についてエコノミスト誌は「銀行は孤立した存在ではない」と警告を発している。優良銀行が公的資金の返済を急ぐと、返済できない銀行は問題銀行とみなされ、株価の急落や資金流出、調達コストの急騰を招き、金融市場が混乱を起こすからだ。そうなると優良銀行にとっても「カウンターパーティ・リスク」が増加するから、結局優良銀行も優良でなくなってしまう・・・ということだ。

優良銀行か問題銀行かの判定はストレステストの結果からも下される。ストレステストの結果は2週間以内に発表される予定で、今当局はテスト結果の開示レベルに頭を悩ませている。7000億ドルのTarp資金はもはや固く見積って320億ドルしか残っていないし、増税や国債増発反対デモなどが起きている現状、議会が追加資金の投入を簡単に認めることはないので、オバマ政権の選択肢は限られている。

ファイナンシャル・タイムズはストレステストの結果発表を3つのシナリオに分けて問題点を示している。第一は「向こう数ヶ月間更に経済が悪化しても銀行は健全」という超楽観シナリオを示すことだ。しかしこのシナリオが成功するためには市場からストレステストが「十分厳しい」ものだったという信頼を市場から得る必要がある。

第二のシナリオは「銀行が資本不足である」ことを明らかにするというものだ。資本不足を宣言された銀行は向こう半年の間に民間から増資をする必要がある。民間からの増資ができないと公的資金を追加投入することになるが、Tarpには資金がないことを市場は知っているので、オバマ政権の金融安定化策そのものに不信が高まるリスクがある。

第三のシナリオは「銀行を国有化して、既存株主価値及び上位債権者の価値おも毀損させる」方法だ。しかしこの方法はオバマ政権が既に否定している。

以上のように見ると「市場が信頼するにたるストレステストの結果を示しながら、金融市場の混乱を避ける」というのはかなりの難作業に見える。来週あたりから市場はこの問題にもっと注目していくだろう。

ところで先程Tarpに320億ドルしか資金が残っていないと言ったが、財務省は1,350億ドルの資金投入が可能と計算している。これは財務省が「優良銀行からの返済」を既に見込んでいるからに他ならない。ということは早期に公的資金を返済する数行がでて、その資金を問題銀行の資本増強に充てるということを財務省が認めているということだろうか?

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「革新」は未だ英語にならず

2009年04月17日 | うんちく・小ネタ

ある外国の言葉が「外来語」として、定着したかどうか正しく判断する言語学的な方法を私はしらない。しかし多くの人が利用している辞書に収録された時「借用語」(他の言語から別の言語にそのまま取り入れられた語彙)として、その国の言葉になったと判断して大きな過ちはあるまい。

今日の話はこの観点から見て、「改善」は英語になったが「革新」は未だ英語にならずという話だ。出発点はエコノミスト誌に出ていた「改善」の話である。記事のあらましは次のとおりだ。

「改善」は継続的な改良Improvementを意味する日本語である。1980年代に日本がマネジメントに関する知識の源泉と考えられた時、「改善」は一連の東洋のアイディアとして西洋の会社に理解された。改善には「人材は会社の最も重要な資産である」「プロセスは革新的な変革よりも漸進的な改良により進化しなければならない」「改良は異なったプロセスの定量的な評価をベースにしなければならない」という原則がある。しかし「改善」は日本の産業界を牽引した企業がスローダウンしているので、その輝きの一部を失った。

ここでエコノミスト誌はトヨタの渡辺社長の「15年前なら十分な人員を持っている限り『改善』を通じて我々のゴールを達成することができると言っただろうが、現在の世界では恐らく『革新』による変革も必要だろう」という言葉を紹介している。

エコノミスト誌は「改善」について現在の幾つかのビジネス概念と同様「改善」はKで始まると述べ、Kで始まる言葉として「系列」「カンバン」「革新」をあげていた。そこでこの三つの言葉が「英語」になっているかどうかを英語のWikipediaで調べてみた。そうすると「系列」「カンバン(方式)」については詳細な記述があったが、「革新」は採択されていないことが分かった。そこで表題の「革新は未だ英語にならず」という結論になった訳だ。ただ「革新」が英語になっていないとはいえ、日本人だけが「革新」が苦手と考える必要はないだろう。

本題はここからである。何が本題かというと「革新は改善より難しい」というのが今日のテーマ。経済学者のジョン・メイナード・ケインズに「新しいアイディアを理解することは難しくない。本当に難しいのは古いアイディアを捨てることだ。われわれと同様の環境で育った世代の場合、古いアイディアが頭の隅々にまで組み込まれている」という言葉がある(原典は知らないが「市場の変相」 モハメド・エラリアン著から引用した)。

「改善」は古いアイディアを捨てることなく、少しずつ新しいアイディアを取り入れていくことであり、「革新」は古いアイディアを一気に捨て去り新しいアイディアに乗り換えることであると理解すると「革新は改善より難しい」という概念はケインズの言葉と平仄を合わせる。

モハメド・エラリアンはケインズの言葉を引用した後、「この(ケインズ)の言葉が示唆しているのは、投資家は構造的な大転換、重要な節目、体制変革をすばやく認識し、それに反応しなければならないのに、そうできないリスクが大いにあるということだ」と述べている。

ではどうして我々は「古いアイディアを捨てられず」「構造的な変革をすばやく認識できないのか」という問題が次に頭に浮かぶ。心理学の門外漢だが、この問題について私は「人間は自己同一性を確保するために古いアイディアを一気に捨て去れないように設計されている」と考えている。つまり「持続したものの考え方」「一定のパターンを持った意思決定」などが「その人の個性」を形成するのであり、それが崩れると「昨日の自分」と「今日の自分」は断絶してしまうからだ。つまり人間(恐らく総ての生き物も)は本質的に革新を敬遠する遺伝子を持っているのだろう。従って「革新は改善より難しい」と私は考えている。

余談を一つするとKで始まり「英語」になった日本に「過労死」という言葉がある。不名誉な話だが。「人材は会社の最も重要な資産である」とする「改善」と「過労死」が時として、隣り合わせになったことがあるという事実は、手段が目的化する集団の危険性を示唆して興味深い。

同じ文脈で「革新」の問題を考えると「革新」は働く人に強い精神的なストレスを与えるだろう。何故なら「過去との不一致」や「経験則からの逸脱」そのものがストレス因子と考えられるからだ。

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