金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

電気自動車はデジカメになれるか?

2009年09月10日 | 環境保全

先週のエコノミスト誌は電気自動車を取り上げていた。記事は1995年にハーバード・ビジネススクールのジョセフ・L・バウアーとクレイトン・M・クリステンセンが作り出した「破壊的技術」という概念で電気自動車の将来性を示唆する。

「破壊的技術」とは「既存市場では必要な性能を持たないために受け入れられないが、新しい顧客に対して新しい価値をもたらす新製品を生み出すような技術」のことで、エコノミスト誌はデジカメと銀塩カメラの例で説明する。「はじめてデジカメが市場に出た時は、銀塩カメラより高く解像度は低かった。しかし二つの利点があった。撮影画像をその場で見ることができることと画像をコンピュータに取り込み転送できることである。それから14年、今では銀塩カメラを買うことは難しくなっている」

つまりエコノミスト誌は電気自動車はデジタルカメラになる可能性があるという訳だ。地球温暖化ガスを削減する上で自動車の排ガス規制は重要な課題だ。温暖化ガスの約1割は自動車の排ガスだ。景気低迷から先進国の自動車台数は大きな増加は見込めないものの、発展途上国では飛躍的な増加が予想される。エコノミスト誌によるとまもなく米国を抜いて世界最大の自動車大国になる中国は、2050年までに現在の全世界の自動車台数に等しい台数を保有するということだ。

日産のゴーン社長は2020年には新車の20%は純粋な電気自動車になっているだろうと予測する。またIDTechExという英国のコンサルタント会社は2025年には新車の3分の1は電気自動車になっているだろうと予想している。この傾向が続くと内燃機関による自動車はやがて写真フィルムのように時代遅れなものになるとエコノミスト誌はいう。そしてエコノミスト誌は自動車メーカーの努力だけではだめで、政府が電気自動車の保有を促進するような税金面の差別や「スマートグリッド」と呼ばれる送電網の整備が行う必要があると述べている。

これからは私の意見だが、デジカメを例に取るとかなり短いサイクルで買換えを強いられた。つまりカメラのエンジンに相当するCCD(電荷結合素子)の改良を中心に、カメラの性能がどんどん向上した(今はかなり高原状態に達したと思うが)ため、つい新しいカメラが欲しくなってしまうのだ。古いカメラは二束三文である。デジタル一眼レフの場合、カメラ本体の「機能的寿命」は短いが、光学器械である「交換レンズ」の寿命は長い。デジタル一眼レフのユーザは「交換レンズ」資産があるため、同じメーカーに縛られるということになる。

この関係を電気自動車に当てはめてみよう。電気自動車の要となるのはバッテリーである。バッテリーの性能は今後日進月歩で向上するだろう。日産が来年市場に投入する予定のリーフは一回の充電で160km走ることができるが、将来もっと性能の良いバッテリーが出ると時代遅れと感じるだろう。恐らく電気自動車の場合「車体や足回りは問題ないけれどバッテリーが時代遅れ」(カメラの場合はレンズは問題ないけれどCCDが時代遅れ)ということが起きる。

これを防ぐにはあらかじめ「バッテリーだけ新品に交換できる」ような物理的な仕掛けとファイナンス面の仕掛け(バッテリーをリースにする)を考えるような工夫が必要だ。また本当は総ての自動車メーカーのバッテリーに互換性があれば便利だ。なぜなら互換性があると「バッテリーステーション」のようなところで、空のバッテリーと充電済みのバッテリーを交換することで(ガソリン車の給油感覚で)、車を運転することが可能だからだ。

しかしこのようにはならないだろう。カメラの場合、他のメーカーのレンズと互換性があると便利なのだがマウントが違うため中々うまくいかない。同様に電気自動車の場合もバッテリーの互換性を求めることは無理かもしれない。何故ならメーカーはそれを「差別化」の材料にするからだ。

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