金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

友愛をソシアル・ヘルスと訳すると波に乗れるかも

2009年09月16日 | 国際・政治

鳩山民主党代表の「友愛」は英語では一般的にはFriendshipと訳するが、ウオール・ストリートは Friendship and loveという丁寧な訳語をあてていた。だがもし来るべきG20で鳩山氏の通訳~スタンフォード大学院出の彼には不要だろうが~が、「友愛」を「ソシアル・ヘルス」と意訳することが出来ると彼はG20で良い線を行くのではないか?と思うニュースを目にした。

というのは「GDPだけを政策運営の指標をすることについてG20で問題提起をしたい」とフランスのサルコジ大統領が月曜日にソルボンヌ大学で演説していたからだ。

サルコジ大統領はノーベル経済学賞を受賞したスティングリッツ教授とアマルティア・セン教授をパネラーに招いて、GDPの指標性の問題を討議した。そしてGDPだけでは不十分で持続性と人間の福祉を図る指標を導入する必要があると結論付けた。そしてGDPへの過度のフォーカスが現在の金融危機の引き金になっているとレポートは結論付けている。

ニューヨーク・タイムズによるとサルコジ大統領は「主なメッセージはGDPフェテイシズムから離れて、その限界を理解することだ」とインタビューで答えている。

GDPは1930年代に米国政府が国の収入と生産をより正確に測定する手段として開発したものでマクロ経済学上もっとも重要な指標となっている。だがタイムズによるとGDPは経済全体の成長・収縮を正確にとらえるけれども、ソシアル・ヘルスを表すには要領を得ない物差だという批判が長い間あった。

ソシアル・ヘルス、直訳すると「社会の健康」だけれど、色々な使われ方から見ると「人間関係の健康」と理解するのが良さそうだ。だから私は鳩山代表の友愛を「ソシアル・ヘルス」と意訳することも可能だろうと私は考えている。

GDPがソシアル・ヘルスの指標として問題があることについて、スティングリッツ教授は「2000年から2008年の間にGDPは上昇したけれども、家計収入の中央値は4%下落した」と述べている。つまり経済成長の果実は富裕層をより富裕にしたけれども、中間層の所得は下落したということだ。

何をもってソシアル・ヘルスの尺度とするかは簡単な議論ではない。ただ地球環境問題と格差問題が大きな政策課題となる中で、GDP一神教を批判する機運が高まっていることは注視するべきだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

散髪屋で頭を洗わないのは不衛生なのか?

2009年09月16日 | うんちく・小ネタ

ニューヨーク・タイムズのある記事の中で「理容生活協同組合がQBハウス(1000円で散発する激安理容店)の拡大を食い止めるため、衛生の観点から理髪店に洗髪設備を備え付ける」条例の制定を求めているという記事が出ていた。

インターネットで調べて見ると福島県など幾つかの県でこの条例は可決されているようだ。ただしQBハウスのホームページ「よくあるご質問」を見ると「カットのみのサービスで髭剃り、シャンプー、ブローはありません」と書いている。ホームページが修正漏れなのかあるいは条例の発効前なのかは分からない。また私自身はかなり昔QBハウスを1,2度利用したことはあるが、今は利用するつもりはないので確かめる術(すべ)はない。

私がQBハウスを利用しないのは全く個人的な趣味の問題だ。趣味の問題というのは「残り少なくなった髪だから少し高いお金を出しても、丁寧に扱ってやりたい」という思いと「好きな理髪店(私は三越前のヘアモードキクチを愛用している)でマスターと気の置けない会話を楽しみたい」という二つの思いを持っていることだ。

だが「髪を洗わないこと」~タイムズの記事はwithout first washing their hairと書いているので、散髪前に髪を洗うということなのだろうか?一般的には散発後髪を洗うのだが~が、不衛生か?というと私は全く違うと考えている。

理由は次のとおりだ。一つは昔忙しかった時しばしば一般の理髪店で「散発だけでOK。洗髪不要」といってそのようにして貰っていたこと。次にアメリカ滞在中現地の散髪屋さんでしばしば散発して貰ったが、カットオンリー(15百円程度)だった。洗髪は顔剃りと同様オプションの一種と考えるのが妥当だろう。

タイムズはQBハウスの岩井社長の言葉を紹介している。「成功しているものにペナルティを課すのは正しくない。我々は単により生産性を上げる方法を生み出しただけだ」

なおタイムズは反対意見も紹介しいてる。「日本の理髪店は時代遅れだけれど、30年にわたり25万人の理髪師を雇用いているし、コミュニティの中心的役割を果たしているのだから残す価値がある」

QBハウスと伝統的理容店の対立は、生産性と社会福祉の衝突問題の一つの象徴のようだ。衛生問題という規制当局を動かすお札を見つけた業界は伝統的な業者を今しばらく生き残すすべを見つけうるが、お札のない業界では既に価格破壊的な新規参入者が古い競争相手を締め出している。

だが私は総ての古いタイプの理容店が生き残れないとは考えていない。利用者の中には「安さ」以外の何かを求める人もいるはずだ。その何かを発見しかつコストカット努力をする伝統的な店は残りうると考えている。総ての理髪店に洗髪設備を求めるなどというのは、規制緩和に逆行する悪例の一つであると私は考えている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする