金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

知行借上、止められる社会はいいね

2009年09月15日 | うんちく・小ネタ

「知行借上」とはごく平たくいうと江戸時代に財政に行き詰った藩が「藩士の収入を借上げる」という制度で、往々にして借りっ放しつまり藩士の減収になった仕組みである。半知借上というのは、給料の半分カットだ。

リーマン・ブラザース危機以降日本の会社は「給料のカット」を行った先は多い。マスコミで目にしたところでは、日本電産やパナソニックが給料の一部カットを行っているが、マスコミに出ない先でカットを行っている先は非常に多いはずだ。もっとも日本電産は業績が戻ったので7月から元に戻したという話だが。

今日の話はフランスの銀行・クレディ・アグリコールのアジア証券子会社CLSAが業績急回復から「知行借上」を早期に終了したという話。

ファイナンシャル・タイムズは、アジアの株式市場が急回復したのでこのcontroversialな知行借上制度を早期に止めたと報じていた。Controversialというのは「異論のある」とか「容易に認められない」という意味だ。FTによるとCLSAのトップクラスの職員数百人が「自主的に2009年末まで給料の最大25%カット」に同意していたと報じている。

ところが業績が急回復してきたので、給与カットを3ヶ月前倒しで終了するとともに、過去のカット分の支払も行うということだ。更に新しいインセンティブ・プランを導入して会社のコスト削減プランを達成すると達成額の最大25%のボーナスを支給するという。

CLSAは投資銀行のような巨額のサラリーを払ってはおらず、トップ・プレーヤーでも年収30万ドル(27百万円程度)とFTは報じている。

このエピソードは幾つかのことを示唆している。

第一に株式業務の業績は実物経済の従関数なので、実物経済が良くないと株式業務は良くない。従って株式業務でお金を儲けるなら経済成長の強い地域に出て行くしかない。

第二に「知行借上」は慢性化、つまり給与カットになってはいけない。CLSAのように会社が従業員から「借りた」未払いの賃金は業績が良くなった時返さないといけない。私はしばしば日本の会社が「給料のカットしっぱなし」という例を見ているが、これは「知行借上」という江戸時代(特に享保時代が多かったようだ)の悪風が遺伝子となって浸み込んでいるのでないかと考えている。

一時代前の戦国時代であれば「いつまでも部下の給料を借りている」ような大名はたちまち部下に見限られたであろう。腕に自信のあるサムライは、槍一本、差配一本を持って高禄を出す大名を渡り歩くことができたからだ。

「知行借上」の慢性化は経営の弛緩につながる。国民経済的にはゾンビ企業が行き続けることになり、生産性は向上しない。鎖国や身分制度で職業の選択が出来なかった時代ならいざ知らず今の時代は「渡り歩くことができる」時代だ。「渡り易さ」を助長するような政策を取ることが、経済の活性化と希望ある社会を作るのである。

第三に会社はコストカット・メリットを従業員とシェアすることで、従業員に経費削減のインセンティブを与えることだろう。短い記事だが示唆するところの多い話だった。

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「ユニクロ栄えて国滅ぶ」、でどうするの?

2009年09月15日 | 社会・経済

今月号(10月号)の文芸春秋にエコノミスト・浜 矩子さんの「ユニクロ栄えて国滅ぶ」という一文があった。ポイントは「安売り競争は社会を壊す恐るべき罠だ。企業がライバルが倒れるまで消耗戦を続けると、経済がどんどん縮小していき、デフレの悪循環に陥っていく。・・・・自分さえ生き残ればいい、自分さえ勝ち残ればいい。安売り競争の背後にあるこの行動原理を私は『自分さえ良ければ病』と呼んでいる。」ということだ。

マクロ経済的に見たデフレ循環の要因分析としてはある程度正しい見方だと思う。だが浜さんの話には「それではどうしたら良いの?」というところがスッパリ欠落している。

浜さんは「グローバル化による国際競争の激化が労働コストの引き下げに拍車をかけた」と言いながら「保護主義はいけない」と言い、「政治は経済を変えられないという認識が必要だ」とも述べる。そして「必要な新陳代謝を促しつつも、それによる連鎖的な経済への打撃は食い止める、そんな政策を各国の政府は懸命に練るべきだ」とも言う。

そして最後に再び「ユニクロ栄えて国滅ぶ」という事態にならないように知恵を絞ること」と繰り返しているが、どうすりゃ良いのか?という提案が全くない。

評論家だからそれでいいのかもしれないが、かなりお粗末な「ないものねだり」の議論のような気がした。

もしユニクロが「安くて質の悪いもの」を作っているのなら「質の悪いものを買うのは止めよう」という主張を行うことができる。だが知っている限りユニクロは安くても価格に見合う品質の商品を提供しているし、消費者はそれに満足している。だから売れるのだ。ユニクロをひいきにする訳ではないが、安くて質の良いものを作って国を滅ぼすと非難されるのは公平を欠くというものだろう。

そもそも「ユニクロが安いものを売り出したから、デフレが始まったのではなく、デフレが始まったからユニクロが売れるようになった」のではないだろうか?

安売り競争を止めることは簡単ではない。考えうる一つの方法は「お金を持っている人にドンドンお金を消費してもらう」ことだ。例えばお金を持っている高齢者にドンドン観劇に行ってもらう。その時できるだけドレスアップしてもらう。帰りにはご馳走を食べてもらう。というようなことをすれば消費は増えるだろう。

これを政策だけで推し進めるのは無理がある(国民のコンセンサスを得られるかどうか)。むしろ「ものの考え方」や「文化」が先行する必要があるのではにだろうか?

「年をとれば安い衣料を10点買うより、高価でも華やかな服を1点買うことがより幸福感を高める」などという主張をオピニオン・リーダー達が発信するべきなのだ。政治ができることはそのように考える人に若干のお手伝いをすることである。

なお若者についていうと「最低賃金を引き上げる」べきである。最低賃金があがると企業経営が成り立たなくなるという経営者がいるが、そのような会社は撤退するべきなのだろう。払うべき賃金を払わないからなんとかやっていけるというのはフェアではないのだ。

コメント (1)
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