今年のNHK大河ドラマ「天地人」は例年より早く昨日(11月22日)本編が終了した。そして来週から「坂の上の雲」の第1部が5週連続で放映される。産経新聞に連載された司馬遼太郎の「坂の上の雲」が文庫本になったのは、1978年のこと。私はこの小説が文庫本になる時を待っていて読んだ記憶があるので30年前のことだ。
「坂の上の雲」を最初に読んだ時、私が一番感銘を受けた人物は秋山好古でその思いは今も変わらない。秋山好古に感銘を受けた理由は彼が弱小な日本の騎兵隊を率いて、世界最強と言われたコサック騎兵に勝利したこともあるが、それよりも彼が陸軍大将を退役した後、乞われるままに郷里・松山の中学の校長を黙々と務めたことにある。
秋山好古は元帥位への推薦の話もあったが固辞している。また晩年は自分の武勲を自慢することなく、「日露戦争の話をして欲しい」と頼まれても一切断っていたと聞く。これらのエピソードを見ると秋山好古という人の人格の奥床しさが見えてくる。司馬遼太郎の筆は秋山好古に関しては良くその人物をとらえていると私は感じている。
ところで司馬遼太郎はこの小説を書く際に「フィクションを禁じて書くことにした」と述べている。それ故「坂の上の雲」の読者やテレビドラマの鑑賞者は、「坂の上の雲」を事実と思うかもしれないが、重要な点で虚構があることを指摘しておきたい。
重要な点で虚構があるというのは、「日本海海戦の勝利は東郷平八郎の何事にも動じない不動の指揮と秋山真之(好古の弟)の鬼謀によってもたらされた」という偽りの美談をそのまま採用しているからだ。
「坂の上の雲」の東郷長官は「バルチック艦隊はどの海峡を通ると思うか」と問われ、「それは対馬海峡よ」と言い切っている。しかし新資料により真実に迫った中村彰彦氏の「海将伝」(連合艦隊参謀長の島村速雄少将(当時)の生涯を描いた小説)は次のように述べている。
バルチック艦隊がどのルート(対馬水道、津軽海峡、宗谷海峡のいずれか)を通るか判断に迷っていた連合艦隊司令部は指揮下の各艦隊の司令長官、参謀長を旗艦「三笠」に集結して会議を持つ。会議中東郷は休憩室にこもり自分の意見は言わなかった。会議では「すみやかに連合艦隊を北方へ移し、津軽海峡ないし宗谷海峡の通過をまつべし」という意見が大勢を占めた。この時汽艇の故障で遅れて到着した島村(日本海海戦の少し前に第二艦隊第二戦隊司令官に転出していた)は、休憩室の東郷を訪ねた。東郷の精悍な風貌には明らかに迷いの色が滲んでいる。それを見て島村は意を決して自説を伝えた。「私は、敵に海戦というもおを知っている提督がひとりでもいるならば、敵はかならず対馬水道にくる、と考えます」
日本海海戦の伝説は「東郷と秋山」を際立たせるため、島村速雄という清廉な名将の功績を無視した。そして「坂の上の雲」もこの虚構の軌跡の上にある。
では何故日本海軍はこのような虚構を事実として通してきたのか?
これについて私は3つの理由があると考えている。一つは戦勝に対する論功行賞の取り合いである。半藤一利氏は「海将伝」の解説の中で「マイナスとなるような記録はすべてといっていいほど抹殺された」と述べている。日露戦争後三階級特進で伯爵になった東郷に迷いがあってはいけないということだ。
次の理由は軍縮に反対する海軍の頑迷な一派が東郷元帥を切り札として担ぎ出したことである。切り札となるため東郷は聖将・神将として無謬伝説の中に生きる必要があった。
最後の理由は「連合艦隊解散ノ辞」に萌芽が見られる精神主義の権化として、東郷・秋山を必要以上に祭り上げたことだと私は考えている。
「連合艦隊解散ノ辞」は東郷連合艦隊司令長官の挨拶を秋山真之が起草したもので、趣旨は不断の訓練の必要性を説いたものだ。だが私は次の一節が日本軍の過度の精神主義を助長する上で護符の役割を果たしたのではないかと推測している。
「百発百中の一砲能(よ)く百発一中の敵砲百門に対抗し得るを覚(さと)らば我等軍人は主として武力を形而上に求めざるべからず」
百発百中の大砲一門は、百発打って一発しか当たらない大砲百門に対抗できることを覚れば、軍人と主に武力の源泉を形而上的なもの~無形の実力~に求める必要がある・・という趣旨だ。
日本海海戦において錬度の高かった連合艦隊が錬度が低く、長旅で疲れていたバルチック艦隊に勝利した理由の一因を錬度の差や士気の差に求めることは正しい。
しかしこのことを重視する余り兵器の優劣を見落としてはなるまい。例えば日本海軍の徹甲榴弾は爆発力の強烈は「下瀬火薬」を内包した上、爆薬量はロシアの砲弾の5倍位あった。この砲弾の破壊力の違いが日本に勝利をもたらした面を忘れてはならないだろうと私は考えている。
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やや堅苦しい歴史談義になったが、一般的に信じられている「歴史的事実」が時として作られた伝説である一例として紹介した。このようなことを考えながらドラマ「坂の上の雲」を楽しんでみたいと思っている。
なお寡聞にして秋山好古と島村速雄の間に何か接点があったかどうかは知らない。しかし私は自分の武功を誇ることなかったこの二人こそその後の日本人が尊敬するべき軍人だったろうと考えている。そうであればその後の誇大妄想的な戦争に巻き込まれることはなかっただろうと私は感じている。