ニューヨーク・タイムズを見ていたら、韓国で高齢者の自殺が急増しているという記事がでていた。なぜこの時期にこの記事がでたか?は知らないが、記事によると65歳以上の高齢者の自殺者は2000年の1,161人から2010年の4,378人に急増している。
昨年秋の「世界自殺予防デー」の翌日の中央日報を見ると、韓国の高齢者の10万人当たりの自殺者は81.9人で日本(17.9人)の4,5倍だと警鐘を鳴らしていた。
日本の60歳以上の自殺者は2010年のデータで12,192人、内健康問題で自殺した人が7,468人(61%)と最も多い。統計は見ていないが韓国の場合は経済的理由で自殺した人が多いと思われる。
韓国の65歳以上の高齢者の貧困率は48%とOECD諸国の水準を3倍以上も上回っている。
高齢の貧困者が増えている理由は、儒教的な家族システムの崩壊による。伝統的な韓国社会では、親は子供の養育に全力をあげ、時に貯蓄を使い果たす。その見返りに子供は親孝行を尽くすといういうシステムが出来上がっていた。子供は親にとって「年金」であり「健康保険」であり「介護制度」だった。しかし高度成長期に韓国の若い世代は田舎を捨て都会に出て行き、年老いた親は貧しく田舎に取り残された。
国は何もしなかった訳ではない。1988年に公的年金制度が導入された。しかし多くの場合、公的年金で基本的な生活費を賄うことは困難だ。また多くの高齢者は制度発足時に退職していたので年金制度でカバーされない。2011年の政府発表によると、65歳以上の高齢者の4割しか公的年金あるいは私的年金または老後の蓄えを持っていないという。
また子供に親を支援する経済的余力があると判断される場合生活保護的支援は行われない。そこで資金のない高齢者は自分の子供か国に頼るかという選択を迫られる。儒教的伝統と面子を重んじる国柄、子供に親をサポートする意思ないし経済力がないことがあきらかになるのは屈辱的でありそれよりは自殺を選ぶ、ということから韓国では高齢者の自殺が増えているのだ。
産業構造の変化が家族構造の変化を生むのは、工業化(あるいは産業化)した社会では普通のことである。問題はその速度の速さとドラスティックさだ。
たとえば英国では産業革命以前から個人の財産所有権が確立し、親子の関係は自由主義的・契約的であった。だから子供が都会に出て働いても、ただちに親が貧困化することはなかった。
家父長制度の終焉は日本では相続人達の間の相続争いを生み、韓国では高齢者の自殺増を生んだ。顔も見たくないほど憎しみ合っても、死ぬよりはまし、だろうか?