昨日藤沢周平の一人娘の遠藤展子さんが書いた「父・藤沢周平との暮し」(新潮社 1,400円)を買い往復の電車で読んでしまった。
私は藤沢周平が好きだが、その理由は幾つかある。一つは運命に生きる人間の健気さを描いているからだ。周平の時代小説の登場人物は定めを定めとして受け止め、その中で一生懸命に生きている。その生き方に深い共感を覚えるのだ。次に藤沢周平という人の謙虚で律儀な生き方が良い。「父との暮し」の中にも周平氏の律儀さが出ている場面が幾つもある。例えば「サイン本あれこれ」の中の「父は本のサインや色紙を頼まれると、多くの場合、きちんと墨をすり、筆を使っていました」。また「父が教えてくれたこと」の中では「父から言われた言葉で、心に深く残っているものが、いくつもあります」と言って「普通が一番」「挨拶は基本」「いつも謙虚に、感謝の気持ちを忘れない」などという言葉が紹介されている。
最後は私固有の理由だが、藤沢周平が西武池袋沿線にずっと住んでいたことである。いわばご近所の人であった。「父との暮し」の中にもかなり詳しい固有名詞が出てくる。例えば周平氏が公立昭和病院に入院して奥さんがバスに乗らず花小金井から病院まで通ったというくだりを読むと今度私も試しに同じ道を歩いてみようなどという気になる。
以上のような理由で私は彼のファンであり、かなりの著書を読んでいる。しかし周平氏が娘の展子さんに残した言葉例えば「派手なことは嫌い、目立つことはしない」「自慢はしない」などということが実践できているかというと甚だ心もとない。論語読みの論語知らずという言葉があるが、周平読みの周平知らずなのかもしれない。