先日元の会社の先輩と酒を飲んでいる時どういうきっかけだか忘れたが「世渡り下手」ということが話題になった。その人によると私は「仕事は出来るが世渡りは下手だ」。もっともこのような場合前段のほめ言葉は後段の批判を薄めるためのものだから、相当割り引いて聞いておく必要がある。
しかし実のところ私は「世渡り下手」という評価が嫌いでない。柳生新陰流を開いた柳生石舟斎にこのような歌がある。
兵法のかぢをとりても世の海を わたりかねたる石の舟かな
石舟斎柳生宗厳(むねよし)、剣法の奥義を極めた人だが世渡りは上手くはなかった。柳生の小領主だったが、松永久秀の属将となるが、秀久の死後は筒井順慶との戦いに敗れ柳生に隠棲する。柳生家が陽の目を見るのは石舟斎の五男宗矩が家康の近習に取り立てられてからのことだ。
「兵法(剣法)の奥義を極めた石舟斎にとって権謀術数を駆使せねば成功者となりえない浮世のありさまは、憂苦に満ちた眺めであっただろう」と津本 陽は「老いは生のさなかにあり」の中で述べている。
天は一人の人間にそれ程沢山の才能は与えないということなのだろう。