私の住む西東京市でもゴミの分別廃棄が一層厳しくなるそうだ。従ってワイフは私が捨てるゴミに口うるさくなっている。もっと正確にいうと「私が捨てないゴミ」にも口うるさくなっている。私はグルニエ~気取ったところで屋根裏の物置だが~に、趣味のガラクタや古い小物家具を取っておく傾向があるのだが、これがワイフには随分気に入らない様だ。「とっておいてどうすのですか?あなたが死んだら後の人が困りますからいらないものは捨ててください」という。理屈はそのとおりで「いつか又使おう」と思ったもので「また使ったもの」はほとんどない。若い時の山道具も長い間屋根裏部屋に保存してあったが、結局今の山登りに使うことはほとんどない。道具は日進月歩してとても昔の重くてかさばる道具を使う気がしない。第一古いザイルなどは使わなくても劣化しているので、とても命を託す訳にはいかない。
という訳で理屈はワイフの言うとおりだが、面白くないので寝転がって読みかけの藤沢修平の密某(直江兼続を主人公とした小説)を手に取った。するとその帯封にこう書いてあるではないか。
物をふやさず、むしろ少しずつ減らし、生きている痕跡をだんだん消しながら、やがてふっと消えるように生涯を終ることが出来たらしあわせだろうと時どき夢想する~藤沢周平~
私の好きな周平氏も無駄なものは捨てなさいとおっしゃている。ところでこの一節は「周平独言」というエッセー集の中に出ていたので、前後を読みかえしてみたいと思って書架を探したが簡単に見つからないのであきらめた。年を取ると記憶力が低下するので、無駄なものを捨ててシンプルに生きることが大切だと思った次第である。