金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

中国は本当に過剰投資なのか?

2006年11月07日 | 国際・政治

エコノミスト誌は最近「中国は一般に信じられている程過剰投資ではない。それは統計数値が間違っているからだ」という小論文を発表した。ここで展開されているロジックは一般に公開されている数字とごく基本的なマクロ経済理論だけで組み立てられている。こういうすっきりした論文を読むと気持ちが良い。

  • 多くのコメンテーターは中国の設備投資は過大で、早晩、資本投資の急激なスランプが経済をクラッシュさせると信じている。政府の統計によると中国の設備投資はGDPの45%以上になる。これは先進国の平均値21%に較べるときわめて高いし、1997年の東アジア危機以前の同地域の平均に較べても高い。
  • しかし統計数値に関する推理を行なうとこれらの数値が正しくなく、もし正しく計測するなら、設備投資は相当低くなることが分かる。従って中国の設備投資のGDPに占める割合は他の大部分の国に較べると高いものの、警告のレベルは低くなる。
  • 中国の公式数値は以下のようなことで精査することができる。

     * GDP成長率と固定資産投資に使われる数字の互換性がない。もし設備投資がGDPの45%を占め、設備投資の年間増加率が25%とすると、設備投資だけでGDP成長率を11%押し上げることになる。(45%×25%=11%) しかし政府統計によると、この他に消費と純輸出が6%貢献している。ということはGDP成長率は現在の10%ではなく、17%ということになる。しかしこれはGDPに対する設備投資の割合が過大に計算されている可能性の方がはるかに高い。

  * 理論的に投資と貯蓄の差は経常収支であり、昨年中国の経常収支はGDPの7%だった。もしGDPに対する設備投資率を45%とすると貯蓄率は52%になる。しかし多くの研究はもっと貯蓄率を低く見積もっている。世界銀行の最近の白書は中国の貯蓄率を44%と示唆している。もし、この数字が正しいとするとGDPに対する設備投資比率は37%になる。

  • これらのことからゴールドマンザックス香港のエコノミストは中国の設備投資の水準と成長率は過大に計上されていると結論付けている。これは本来設備投資に含まれない土地の売買代金が参入されていることによる。これと同時に消費支出は過小計上されるが、恐らく消費の過小計上は投資の過大計上より多いだろう。このことはGDP自体が過小計上されていることを示唆する。もし投資が少なくGDPが大きいとすれば、設備投資の実態はGDPの36-40%程度だろうと前述のアナリストは言う。
  • この水準にしても他国と比較すると相当高い。もし中国が莫大な過大投資を行なっていたとするならば、資本に対するリターンは低下するはずである。しかし世界銀行が最近指摘している様に投資ブーム中、中国の企業の利益率は上昇している。
  • もう一つの投資効率を図る尺度は、限界資本生産性比率(ICOR: Incremental Capital-Output Ratio)である。これは追加的な1単位の生産を得るためにどれだけ投資を行なう必要があるかを示すもので、年間設備投資額をGDPの年間増加額で除して算出する。この数値は中国では1990年初頭以来3%から5%に急速に上昇している。言い換えると中国では今追加的な1ドルの生産物を得るために以前は3ドルで済んだ設備投資を5ドルにする必要があるということだ。多くのコメンテーターはこれをもって投資はより低いリターンしか生まないし、中国のICORはインドよりも高いと言う。
  • しかしICORは時系列的なあるいは異なる国の投資効率を測定する上で、不十分な尺度である。まず既に述べたとおり中国の投資が過大に計上されている。第2の問題は経済が発展し、資本集約的になると経済成長を支えるために、より多くの投資が必要になるという点だ。更に中国の急速な経済成長は道路、港湾、住宅への多額のインフラ投資を必要としていることだ。これは短期的な投資リターンを低下させる傾向がある。インフラ投資は工場への投資に較べて効果の発現に時間がかかるからだ。
  • 最後に比率は減価償却を無視したグロスベースで計算されていることだ。中国の投資の大きな部分は計画経済時代に創設された質の低い産業基盤をリプレースするものである。前述のゴールドマンのエコノミストによれば中国の近年のネットベースの平均ICORは他の国より低い3.1だという。
  • これは中国のあるセクター、例えば鉄鋼とか自動車が過剰投資であるということを否定するものではない。幾つかのプロジェクトは上手く機能しないファイナンスシステムや政府の干渉のため利益がでない構造になっている。しかし中国の投資ブーム全体を「やがてはじけるバブル」として簡単に片付けることは恐らく間違っているだろう。
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ブログを書く楽しさと恐さ

2006年11月06日 | ブログ

ブログを書いていてうれしいことは、見知らぬ人から「記事、参考になりました」とか「いつも読んでいます」というコメントを頂くことである。しかしこれらのコメントはそんなに多くはない。しかし私自身が人のブログやホームページを読んで一々コメントを書いている訳ではないので、これははなはだ我侭な話かもしれない。

次に楽しいと思うことはブログのアクセスを解析して「世間の人が今何に関心を持っているか」を知ることである。私は解析のためBlog Petというサイトを使っている。サイトはこちら→http://www.blogpet.net/home.php  解析して「商売に役立てよう」とか「ウケル記事を書こう」などという気はさらさらないが、世間の関心事を知っておくことは悪いことではない。これは雑誌に寄稿する時などのトピック探しに役に立つ。いわば世間という海に釣り糸を垂れアタリを見ているようなものだ。ごく最近の例では「江戸文化歴史検定」をキーワードにした検索サイト(主にGoogle)から私のブログに飛んでくるケースが増えている。この検定は11月3日に実施されたが、結構世の中の人の関心が高いようだ。

ブログを書く恐さの方は具体的に味わっていないが、最近昔の上司や先輩も私のブログを読んでいることが分かった。彼等に私のブログを案内したことはないが、人づてに話が入るらしい。もとよりその人達の悪口を書いたりする積りはない(ブログだって実社会と同じで面と向かって言えないような悪口は書くべきではない)が、筆が滑るという危険性はある。十分気をつけたいところだ。

そんな恐さはあるもののブログを書く楽しさは「表現する楽しさ」に加えて、コメントやトラックバックを通じて見知らぬ読者諸氏と短い会話をすることにあるので止められないものだ。

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重たいが傑作「父親たちの星条旗」

2006年11月05日 | 映画

11月5日(日曜日)ワイフとT・ジョイにクリント・イーストウッド監督の「父親たちの星条旗」を観に行った。英語版は昼食をまたぐ11時40分開演なので近くのロッテリアで軽い腹ごしらえをした。映画が始まり硫黄島の戦闘シーンになると暗い戦場の中で主人公の衛生兵ブラッドリーを呼ぶ戦傷者の声がする。「コーマン」「コーマン」・・・字幕に「衛生兵」と出るのでコーマンが衛生兵らしいことが分ったがはっきりとは聞き取れなかった。後で調べるとコーマンはCorpsman、SのZという音は発音しないこともある様だ。映画のプログラムを買って読むと「アメリカ合衆国海軍の『衛生兵』Corsmanという単語が耳には『コーマン』と響くことぐらい、ハリウッド映画を丁寧に見ているものなら誰でも知っている」と一刀のもとに切り捨ててあった。

ちょっと横柄な物言いにカチンとくるが、ハリウッド映画通でもないからしかたがないか。

さて「父親たちの星条旗」であるが、硫黄島の摺鉢山に立てられた星条旗の虚実による2人の海兵隊員と1人の海軍衛生兵の戦闘とその後の人生の物語である。国民の戦意高揚を図り、国債の販売促進のために「英雄」に祭り上げられ利用された3人の戦後はどうなったか?一人は英雄の名声を利用して派手な仕事に就こうとするが、戦後彼は既に忘れ去られていた。彼はついに求める仕事につくこともなく肉体労働者として生涯を終えた。インデアンの海兵隊員は英雄視される重圧と真実を隠したうそに耐えられず、酒に溺れ野垂死にする。原作の著者の父親である最後の一人は生涯沈黙を守り長生きして家庭人としては唯一幸せな死を迎える。しかし高齢で病に倒れた彼の口から漏れるのは、硫黄島で戦死した親友の名前である。彼も又戦争の重圧に喘いでいた。

近代の戦争は大量の国民の血と肉を求める悲惨なものである。その悲惨さを隠し、国民の意識を高揚するために作られた仕掛けが「靖国神社」のような「死者を賞揚する施設」であり「英雄賛歌」である。これは洋の東西や国の体制に関わらず程度の差こそあれ同じようなものなのだ。

この映画の中で3人の兵士達は度々セレモニーに参加した国民に「英雄は我々ではない。英雄は硫黄島で死んだ兵士達である」と言う。これは演説のレトリックというよりも兵士達の真実の声だろう。近代戦に英雄などいないのかもしれない。そこには悲惨な死と死を恐怖する弱い人間がいるだけなのだろう。それ故戦友を思う心が貴重に見える。若い戦士は時として英雄かもしれないし時として英雄でないかもしれない。それは紙一重であり、旗を立てるとか立てないなどということはほとんど関係がないことであろう。

この映画は重たく見ごたえのあるものだった。

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小石川植物園のヒッコリー

2006年11月04日 | まち歩き

11月3日ワイフと小石川植物園を散歩した。長年関東に暮らしているがこの植物園は始めてだ。ここでまず感心するのは樹が大きいことだ。

このヒマラヤ杉には登りたい衝動を覚える。

Himarayasugi スズカゲの樹も立派だ。これらの樹は明治以降移植されたものだろうが、良くここまで成長したものだ。

Suzukage

この時期花は少ないが、実を付けている樹はある。

Kuroganemochi これはクロガネモチだ。赤い小さな実が美しい。下の写真はシセントキワガキだ。柿といっても実はとても小さい。

Shisentokiwagaki 今日の見所は紅葉したヒッコリーだと思った。黄金色に輝く黄色い葉は美しい。

Hicory2

ヒッコリーの葉を葉脈まで写してみた。虫食いのない葉を捜したが見当たらなかった。プロであれば虫食いのない葉をなんとしても探し出すのだろうが、時間も根気もない私はこの辺で妥協した。プロとアマの写真家の違いはこだわりの差なのだろう。

Hicory

小石川植物園の楓はまだ青々としていた。色付くのは一ヶ月位先だろうがトンネル状態になっているので、紅葉すると壮観だろう。今年は恐らく見に来ることないだろうが、いつの日か訪ねてみたいものである。

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江戸文化歴史検定を受ける

2006年11月03日 | うんちく・小ネタ

11月3日(金曜日)かねて申し込んでいた「江戸文化歴史検定」を受けるため九段下の専修大学に行った。前日はちょっとの積もりで会社の人たちと飲み始めた酒が深くなり結構疲れていたが、92,3点は取れた様だ。70点で合格だからまず合格は間違いないだろう。と言っても自慢する積もりはない。受けた試験は簡単な3級(初級)なのだから。

Edoken

試験会場でまず気がついたことは若い女性が多いことだ。歴史文化の試験だから我々クラスのおじさんが多いのは当然だが、これ程若い人がいるとは思わなかった。江戸はブームなのだろう。今高校の必須科目の履修漏れが問題になっているが、若い人が好きで日本史を学んでいる姿を見ると舵取りさえちゃんとすれば歴史教育の問題は解決する様な気がする。

試験問題は私にとって易しいものと難しいものが混在したが、私が間違った問題を少し紹介しておこう。読者諸氏(みなさん)がこれを簡単に正解する様であれば江戸文化歴史検定の合格は間違いないだろう。

「元禄期、傾城(けいせい)ものを得意として三都随一の女形(おやま)と呼ばれ、女形の芸を確立したといわれた名優は(次の)誰でしょう?」 (い)初代芳沢あやめ (ろ)4代目岩井半四郎 (は)2代目瀬川菊之丞 (に)初代中村富十郎

江戸では「四文屋(しもんや)」と呼ばれる店が流行しました。今でいえば、どのような形態の商売でしょう?

(い) レンタルショップ (ろ)100円ショップ (は)リサイクルショップ (に) コンビニエンスストア

それにしても銀行員をやっていたころはやれ「宅建」だの「シスアド」だのと仕事のための試験をよく受けた。もう試験なんかこりごりだという反面「試験、受けて見たいなぁ」という気持ちもあるのだ。趣味の世界の歴史文化の試験など合格しようがしまいが実社会生活には何の影響もないのだが長年サラリーマンをやっていると「試験中毒」になっているのかつい試験となると本気を出すから不思議なものである。

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