金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

立山の山スキーで怪我をする

2006年11月27日 | 

山スキーは楽しいスポーツだが、一歩間違うと大変危険なことになる。今回は初冬の立山で手痛い目に会った。いや山はいつものようにそこにあるだけで、登る私に油断と不注意があったに過ぎないのだが。山は慎重に登る者は温かく迎え、謙虚さを欠く人間には厳しい対応をするということなのだろう。同好の皆さんに御油断はないと思うが、敢えてご注意を呼ぶためにちょっと報告をしておきたい。

11月25日(土曜日)相棒のM君の車で西東京の自宅を午前6時出発。道は空いていて午前10時前に扇沢の駐車場に到着。バタバタとスキー靴に履き替え10時のトロリーバスに乗り込む。12時前には室堂到着。Shiroumadake写真は大観峰から見た白馬岳(だと思う)

バスターミナルのカツカレーを注文して待っていると隣の中年の観光旅行のおじさん達が盛んにビールやお酒を頼んでいる。ふと僕等は何でこんなに重たい荷物を担いで雪の山を苦労して登るのかしら?という気持ちが起こりM君に「俺もあっちの方が良かったかなぁ」というと彼は勘違いして「ビール位(登山前でも)飲みましょうよ」と言い1本注文した。

さて12時5分一の越から雄山を目指して登る。今日の滑降予定路は山崎カールといい立山(雄山)の西面に広がる広大な斜面だ。小1時間シールを着けて登り、一の越の少し下からアイゼンに変える。写真は一の越から雄山へ向かう途中だ。

Oyama

踏み後のない急斜面はアイゼンの前爪がかかる程度の硬い雪だ。午後3時10分雄山の頂上着。

Dainichidake 写真は雄山頂上から滑る方向の西側を撮ったところ。頂上直下からアイゼンをスキーに換えて滑降準備に入る。私はトラーブの170cmの板。M君はフリーベンチャーという1m弱の板である。

事故はここで起きた。まず尾根を少し下り山崎カールの上部に出る予定が、上から見て尾根の左側の斜面を私がターンをしながら下ろうとした時氷のような堅雪にエッジを飛ばされ転倒したのである。そのまま堅雪の斜面を2,3百メート滑落。途中でスキーを下にしてエッジで制動をかけることを試みるが堅い雪は全く受け付けない。今自宅でカシミールという地形ソフトを使って滑った斜面の傾斜を計算すると35度程度だ。春山スキーではこの程度の傾斜の斜面は滑るのだが堅い斜面は恐ろしい。

暫く・・・いや実際どれ位の時間が経ったのか?何とか急な斜面の途中で止まる。スキーは一本しか残っていない。M君はどうしたろうか?自分の怪我は?色々なことが気になるがまずこれ以上滑らない様にザックかアイゼンを出して何とか着装する。右腿の外側を少し強く打っているのでアイゼンの着装には苦労した。それから自力で斜面を少し下り、一の越からスキーで下ってくる3人組パーティに事故の概略を話してM君とはぐれたことを伝え山小屋の救助を依頼した。

と暫くすると私滑り落ちた斜面をM君が滑ってくる。大丈夫かな?と思ったところでM君が転倒。ただし上部からではなかったので暫く流されて止まった。やっとM君と合流。M君は僕の滑落を見て山岳警備隊のヘリを呼んでくれていた。少し自力下山を続けたとことでヘリが来る。私はホバーリングしたヘリに吊り上げられ黒部市民病院にそのまま入院。幸い肋骨を1本折り、多少の打撲と擦過傷を被った程度で済み、翌日は一人で列車で自宅まで帰ることが出来たが関係各位には大変御心配とお手間をかけてしまった。

今回の事故は自分が堅雪の恐さを軽視したこととスキー技術への過信が招いたものと反省している。

ワイフには黒部の病院から電話で簡単に状況を伝えたが、一晩心配していたかと思うと心苦しい。黒部から特急と上越新幹線家を乗り継いで午後4時頃家に帰ると二人の娘達も「ダディ、大変だったね」と随分心配してくれていた。

家族が「もう厳しい山登りは絶対止めてね」と言わないのがかえって応えたので、私は「少し休むよ」といって2階への階段を登った。足を痛めた身には2階への登りが結構きつく「年を取ったり障害を抱えるとはこの様なことなんだなぁ」と変なことを考えていた。私は今年56歳。厳しい山登りにピリオドを打つ時期なのかもしれない・・・寂しいが受け入れなければならないことが世の中にはあるということなのだろう。

コメント (2)
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