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重たいが傑作「父親たちの星条旗」

2006年11月05日 | 映画

11月5日(日曜日)ワイフとT・ジョイにクリント・イーストウッド監督の「父親たちの星条旗」を観に行った。英語版は昼食をまたぐ11時40分開演なので近くのロッテリアで軽い腹ごしらえをした。映画が始まり硫黄島の戦闘シーンになると暗い戦場の中で主人公の衛生兵ブラッドリーを呼ぶ戦傷者の声がする。「コーマン」「コーマン」・・・字幕に「衛生兵」と出るのでコーマンが衛生兵らしいことが分ったがはっきりとは聞き取れなかった。後で調べるとコーマンはCorpsman、SのZという音は発音しないこともある様だ。映画のプログラムを買って読むと「アメリカ合衆国海軍の『衛生兵』Corsmanという単語が耳には『コーマン』と響くことぐらい、ハリウッド映画を丁寧に見ているものなら誰でも知っている」と一刀のもとに切り捨ててあった。

ちょっと横柄な物言いにカチンとくるが、ハリウッド映画通でもないからしかたがないか。

さて「父親たちの星条旗」であるが、硫黄島の摺鉢山に立てられた星条旗の虚実による2人の海兵隊員と1人の海軍衛生兵の戦闘とその後の人生の物語である。国民の戦意高揚を図り、国債の販売促進のために「英雄」に祭り上げられ利用された3人の戦後はどうなったか?一人は英雄の名声を利用して派手な仕事に就こうとするが、戦後彼は既に忘れ去られていた。彼はついに求める仕事につくこともなく肉体労働者として生涯を終えた。インデアンの海兵隊員は英雄視される重圧と真実を隠したうそに耐えられず、酒に溺れ野垂死にする。原作の著者の父親である最後の一人は生涯沈黙を守り長生きして家庭人としては唯一幸せな死を迎える。しかし高齢で病に倒れた彼の口から漏れるのは、硫黄島で戦死した親友の名前である。彼も又戦争の重圧に喘いでいた。

近代の戦争は大量の国民の血と肉を求める悲惨なものである。その悲惨さを隠し、国民の意識を高揚するために作られた仕掛けが「靖国神社」のような「死者を賞揚する施設」であり「英雄賛歌」である。これは洋の東西や国の体制に関わらず程度の差こそあれ同じようなものなのだ。

この映画の中で3人の兵士達は度々セレモニーに参加した国民に「英雄は我々ではない。英雄は硫黄島で死んだ兵士達である」と言う。これは演説のレトリックというよりも兵士達の真実の声だろう。近代戦に英雄などいないのかもしれない。そこには悲惨な死と死を恐怖する弱い人間がいるだけなのだろう。それ故戦友を思う心が貴重に見える。若い戦士は時として英雄かもしれないし時として英雄でないかもしれない。それは紙一重であり、旗を立てるとか立てないなどということはほとんど関係がないことであろう。

この映画は重たく見ごたえのあるものだった。

コメント
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