金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

お酒飲むならそれでも赤ワイン

2006年11月02日 | 健康・病気

赤ワインが体に良いと言われているポリフェノールを含んでいることは前から知っていたが、今日ウオール・ストリート・ジャーナルを読んでもう少し詳しいことが分かった。それはポリフェノールの一種の「レスベラトロル」という物質がカロリー摂取を抑制する効果がありそうだというものだ。

記事のタイトルはIngredient in red wine may counter fatty dietというものだ。Ingredientとは成分、材料。赤ワインの成分が脂っこい食事に対抗(counter)するというのが直訳だが、このcounterなどという言い回しを使えると良いなぁと思った次第だ。

さて記事によると、ねずみの実験ではレスベラトロルはカロリー制限剤の様な効果を示す。動物実験ではカロリーを抑制すると寿命が3,4割延びることが知られている。ところが人間は空腹に耐えられないので、食事制限の長寿効果は実証されていない様だ。

2003年にハーバード大学のシンクレア博士が初めてレスベラトロルが苦痛を与えることなくカロリー制限効果を持つのではないかという見解を示した。またシンクレア博士はレスベラトロルをベースにした薬を糖尿病患者に投与する試験を始めたということだ。

ということでカロリー過多に悩む我々中高年の呑み助は「お酒飲むなら赤ワイン。赤ワイン飲んでカロリー制限して長生き」と思うのだがそうは問屋は卸さない様だ。

ウオール・ストリート・ジャーナルは「レスベラトロルは赤ワインの中に発見されているし、店頭でサプリメント食品として手に入れることができる。しかしねずみの実験で一回に投薬される量はワインやサプリメントで摂取する量よりはるかに多い。レスベラトロル薬剤はまだ多人数に投薬実験がなされていないし、効果をだすためにはどれ程摂取すれば良いかも明らかではない」と警告で締めくくっている。

適量の赤ワインを親しい友達と歓談しながら、ゆっくり飲み余りカロリーの高くない料理を頂くというのが当面、酒と健康をバランスさせる方法だろう。

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モンクレールには及びもせぬが・・・

2006年11月01日 | うんちく・小ネタ

今朝神田駅で産経新聞の新しい新聞Expressをただで貰った。カラー写真が多くて中々きれいである。パラパラと紙面をくっていると「10万円ダウン大売れ 景気のアンカー『紳士』が来た」という記事が目に入った。紳士服というのは景気の回復局面では最も遅れて売れ始め、悪化局面では最初に売れなくなる紳士服がついに動き始めたというのだ。その代表例がフランスのブランド物「モンクレール」のダウンジャケットだとか。昨年のNTTドコモのテレビCMで木村拓哉さんが着用していたので大人気になったらしい。値段は一着10万円程度。

はやりものに全く疎い私は今日の今日までダウンジャケットがこんなに人気になっているとは知らなかったが、買った人はどういうところで着るのだろうか?恐らく街着として使われることが多いのだろうというのが私の推測だが。

モンクレールは本来氷雪の高山向けウエアであり、ダウン(ガチョウの羽)とゴアテックスで登山者を寒気と烈風から守ってくれるものである。しかしこれが街着に使われるとすればそれはランドクルーザーで青山辺りを走ってアウトドア好みをひけらかしている様なものだ。

「男は流行(ファッション)を追う必要はない。男は自分の生き方(スタイル)に拘れば良い」というのが私の持論だ。持論からすると風雪に身をさらし、アウトドアの厳しさを楽しむ男だけがモンクレールに値するということになる。しかし世の中にはこんなへそ曲がりなことをいう男や女は少ないのだろう。だから街乗り四駆が流行り優男がダウンジャケットを街で着るのである。

とはいうものの最近私も一枚ゴアテックスのアウターを買った。モノはデサントのWhole Earthで約4万円だ。中綿のないゴアのアウターとしては少し高いが色使い(微妙なアース色)と裁断に少し街着を意識したファッション性がある。

無論私は冬山で使うゴアテックスのアウターを持っているがこれは雪山で目立つ原色だ。又ザイルワークやリュックサックとの摩擦あるいは風雪で汚れが目立ってきた。そこで低山ハイキングやクロスカントリースキーあるいは撮影旅行用に少しファッション性のあるゴアテックスを買った次第だ。

男の基本はライフスタイルだが、多少のファッション性も欲しいと思うようになった。ささやかな贅沢はサイフを軽くし心を豊かにする。我々庶民にはその均衡点がいつも問題なのである。

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補習するなら現代史から

2006年11月01日 | 受験・学校

高校の必修科目未履修問題で補修回数を巡って、与党と文部省の意見対立があると報じられている。文部省は70回、与党は50回という案だそうだ。これについて私は回数より補習の内容ではないか?と考えている。歴史を例にとれば古代史や中世史を70回補習するより、現代史を50回補修する方が良いに決まっている。

日本の歴史教育の大きな問題点は「今日的有用性の欠如」「リアリティの欠如」「生涯学習へのステップボード意識の欠如」であると私は考えている。歴史教育の今日的有用性とは「歴史を学ぶことで、現実生活における理解力と判断力を高める」ということである。現実の生活には近い過去の方が遠い過去より強い影響力を持っていることは当然である。従って限られた時間であれば、まず近い過去から学ぶべきで余力が出ると少し遡り近世史を学べば良いのだ。

リアリティの欠如とは歴史を現実感を持ってとらえることだ。何処かの高校が「オーストラリアへの修学旅行を世界史の単位に加えていた」などと詭弁を弄していたが、これは論外としても、史跡等を見ることは極めて有効だ。できれば今日も使われているような建築物等を見て歴史を考えることが出来れば良い。歴史におけるリアリティとは過去が我々の生活につながっていることを実感することに他ならない。

生涯教育のステップボートとは、高校程度で勉強する歴史はスタート点であっても終点ではないということだ。世界史などは生涯勉強しても尽きるということはない。しかし尽きないから役に立たない訳ではない。勉強し考える過程が人生を豊かにし、現実問題への対処をプルーデントなものにする。

「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」という言葉には歴史教育の意味が込められている。50回でも70回でもどちらでも良いが、高校生に負担感しか残らない様な歴史教育は歴史嫌いを作るだけなので止めた方が良い。回数は少なくとも将来の歴史好きを作る様な教育こそ必要だろう。繰り返して言うがそのためには縄文式だ弥生式だなんて話は止めて、現代史を履修するべきである。

現代史を教えられないとすればそれは先生方の長年の怠惰である。もし有用な先生が不足するというのならボランティアでやってあげても良いすら考えている位だ。

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