金融そして時々山

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エドケンと歴史教育

2006年11月08日 | うんちく・小ネタ

エドケン、江戸文化歴史検定についてはこの前書いたけれど、追加でちょっと思うところを書こう。

エドケン3級の問題の中に「小名木川(隅田川に入る運河)を開削した目的は次の物品の内どれを運ぶのが一番の目的だったか?」という主旨の問題があった。答は「塩」なのだが、僕はこのことを嵐山光三郎の「芭蕉紀行」で読んだことがあった。「芭蕉紀行」の中の「江戸の桃青」の中に次の記述がある。

小名木川は江戸に入った家康が最初に手をつけた開削工事であった。甲州の武田氏がほろびたのは、塩が手に入らなかったことも一因である。・・・北条氏に塩留めされ、兵士生死をさまよった。家康は行徳で生産さえていた塩を、直接江戸城に運び込むため運河小名木川を開削した。江戸の海は泥水で塩はとれない。小名木川は江戸の生命線であった。

徳川家康は武田氏が滅んだ後、武田家家臣を沢山雇い入れている。その中に信玄が塩で苦しんだことを教えた者がいたのかもしれない。あるいはこのことは広く知られていたことなのだろうか?いずれにせよ家康が都市・城郭の生命線である塩の輸送路を重視したことは大変興味深い話である。

歴史を学ぶとは単なる事実を学ぶだけではなく、その背景やその行為の裏にある行動者の意識を推測し、事実の中から生き生きとした情景を立ち上がらせる作業である。そのリアリティを感じられるかどうかが歴史好きになれるかどうかの別れ際である。

私はかって一、二度芭蕉案のあった小名木川付近を歩いたことがある。この付近では清澄庭園がかろうじて江戸の面影を残している。清澄庭園を歩きながらこの辺りから江戸湾や富士山が見えたなどと想像すると、芭蕉が隠棲した付近はまことに風光明媚な場所だったと想像できる。

このように想像の翼を羽ばたかせると、歴史と文学の世界は面白い。このように面白い歴史だが、今履修漏れ問題に悩む先生や高校生諸君はこのようなことを考える余裕はあるまい。拙速な補習等で歴史嫌いを作ってしまってはマイナスと考える次第である。

コメント
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