今日も真夏日。最高気温は 30.1℃(隣町アメダス)でした。5月なんですけどねぇ(笑)。
昨日、百川楼のことを書きましたが、折よく、4日前の朝日新聞「be」のコラム「原田信男の食事の歴史学」のテーマが江戸の料理屋についてでした。
そこには、市民文化が花開いた文化文政期(19世紀前半)には、枡屋・樽三(たるさぶ)・四季庵・百川・山藤などの料亭が繁盛したとあります。で、中でも評判だった八百善のくだりでは、有名な「一両二分の茶漬け」のことも書いてあります。ある人が八百善で「茶漬けでも」と頼むと、さんざん待たされた挙句、代金がとんでもないこの高額。理由を聞くと、茶葉は極上の宇治で、水は多摩川まで飛脚を汲みにやらしたという。
この話で以前から気になっていたのは「水は多摩川」といってますが、多摩川の流れそのものから汲んだものではないんじゃないかということ。多摩川近辺の名水――たぶん湧き水を汲んできたのではないでしょうか。さらに勝手な見当をいうと、喜多見不動尊あたりの湧水が有力な候補だと考えるのですが、どうでしょう?
今日の落語タイムは先ごろ亡くなられた桂米朝師匠の「本能寺」。
鳴り物がたくさん入る賑やかな芝居噺ですが、これは高座を見ないと。録音では楽しさがよくわかりません。明日は別のを。
小さい頃、ラジオでの寄席中継は東京からのものばかりで、上方はほとんどありませんでした。あっても、漫才とか浪花節ではなかったかと思います。
米朝師匠が復興するまで、大阪の落語は火が消えていたから、無理もなかったかもしれません。
今はにぎやかになりました。私が高知の放送局に勤めていた頃(1970年代後半)、ローカルのラジオ番組のパーソナリティーとして桂べかこさん(今の南光さん)が週一で高知へ来てはりましたが、あの頃から、すそ野が広がっていったのかなぁ。