金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

漁師は休業?あるいはストライキ?

2008年07月15日 | 社会・経済

今日(7月15日)の日経新聞を読むと「原油高による経営難を背景に約20万隻の漁船が一斉休業・・・国の原油高対策や漁師の収入増などを要望する」という記事がある。

朝日新聞(ネット版)を読むと同じ内容について「東京・日比谷に漁師3600人が集まり漁業経営危機突破全国漁民大会を開き、霞ヶ関などをデモ行進する予定」とある。

ファイナンシャル・タイムズを読むとJapanese fishermen strike over fuel pricesとある。「日本の漁民、原油価格に対してストライキ」ということだ。

「休業」なのか「デモ」なのか「ストライキ」なのかは、この問題に対する新聞各社のスタンスの違いを示していて興味深い。日経は「出漁しても赤字になる可能性があるから、自主休業の動きも出ていた」「今回の一斉休業が小売価格に与える影響は限定的」と淡々としている。つまり消費者サイドへの関心は高いが、漁民の抱える問題に対する切込みが浅い。

FTは「現在1キロリットルあたり11.5万円のA重油が13万円に値上がりすると、3割から4割の漁民が廃業に追い込まれ、5,6万人が失業するだろう」という全漁連のコメントを報じている。またFTは「魚の値段はセリで決まるので、価格転嫁が難しい。90年にはキロ240円だった魚の値段は、昨年178円に下落している」「日本の漁民が廃業する事態になると、日本の魚の自給率は57%から30%に下落すると全漁連は警告する」と報じている。

☆    ☆    ☆

漁業に対する政府支援は簡単ではない。燃料代の高騰を政府が補助するということになると、トラック業界やタクシー業界などから不満の声が高まるからだ。だが事態はかなり深刻に見える。新聞の見出しとしては「一斉休業」より「ストライキ」の方が深刻度合いを伝えている気がする。

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葬式仏教は死滅する?

2008年07月15日 | 社会・経済

現在の仏教については多少関心がある。というのは私の実家はお寺であり、父と弟が僧侶として働いているからだ。昨日(7月14日)のニューヨーク・タイムズに「日本で長いこと葬儀宗教になっていた仏教自体が死滅するかもしれない」と記事が出ていた。秋田地方の古い寺院の住職をインタービューして書いた記事だ。良く書けていると思うが、ニューヨーク・タイムズの一般の読者、つまりニューヨーク周辺のアメリカ人はこのような話題に関心があるのだろうか?と疑問を持った。

記事によると、日本の寺院が檀家のお布施で成り立つには檀家が300軒必要だ。これはかなり正しい数字であると思う。昔私は学校の先生方の退職金の預金勧誘を行っていたことがある。その時ご住職で学校の先生を兼職している人にかなり会ったが、兼職の方の檀家は大体100軒から200軒程度である。これ位の檀家数なら兼業が必要なのだ。

日本の寺院の経営が苦しくなっている一つの理由は、少子高齢化による檀家数の減少だ。

だがもっと大きな問題は、寺や自宅で葬儀を行う人が減っていることだ。特に都会では葬儀センターを使う人が増えている。ニューヨーク・タイムズは消費者協会の調査を引用している。それによると1992年には62%の人が自宅か寺院で葬式を行い、30%の人が葬儀センターを使っていた。しかし2007年にはこれが逆転し、28%の人が自宅か寺院で葬儀を行い、61%の人は葬儀センターで葬式を行っている。ところで自宅や寺院で葬式を行う人と葬儀センターで葬式を行う人を足しても100%にならない。これは「葬式をしない人」が増えているからだ。

話は少しそれるが、日本消費者協会の調査を見ると全国平均の葬儀費用は236.6万円、内葬儀一式費用が150.4万円、寺院費用が48.6万円、飲食関係が38.6万円だ。地区別に見て葬儀費用が高いのは愛知県などを含む中部地区で379万円、次は東京などを含む関東地区で313万円だ。

葬式費用を高くしているものの一つは戒名代だ。戒名(英語ではPosthumous Buddhist name)については秋田地方で最上位の戒名が30万円強。もっとも東京では数倍するらしい。もっとも最近はフリーランスの坊さんを派遣する組合のようなものも出来ていて、Obohsan.comというサイトに出ている。このサイトを運営する林さんという坊さんともニューヨークタイムズはインタービューをしていた。それによると「お坊さんコム」に頼むと15万円で最上位の戒名を付けてくれるそうだ。

余談を加えると「戒名」というのは「戒」つまり仏教の戒めを守った者が授かる名前である。本来は仏教の戒めを守り修行を積んだもののみが受けるものである。戒名の安売りが始まったのは、第二次大戦で戦死した者に高い位の戒名を授けたことにあるようだ。因みに修行そのものを否定する浄土真宗においては「戒名」という言葉を使わず「法名」と呼ぶ。

現在の浄土真宗ではもちろん葬式は行っているが、宗祖の親鸞は「私が死んだら葬式は不要、鴨川に死体を流してくれ」と言っていた。浄土真宗では総ての人は阿弥陀仏に救済されて極楽に往生するので、葬式で供養をする必要はないという考え方から来ているのだろう。もっとも口の悪い人は親鸞は貧乏だったので、葬式を出す金がなかったのだと言っている。

今日葬式を行わない人々は親鸞のエピゴーネン(追随者)なのだろうか?あるいは葬儀費用を無駄な支出と考えているのだろうか?

いずれにせよ、今後仏教が「死んだ人」ではなく「生きている人」と向き合わない限り、消滅するという警告には一理あると考える。

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