新聞紙面のトップを「富士山が世界文化遺産登録を推薦された」というニュースが飾っている。このような「お目出度い」ニュースにケチをつけるつもりはないが、やや冷めた見方をすると「自国の良さの評価にまだ外国のお墨付きが必要ですか?」と私は感じている。
明治維新以降、浮世絵、仏像彫刻など海外の画家、美術収集家の評価により見直された日本古来の美術品は多い。
自然もまたしかりである。日本アルプスの名前はイギリス人宣教師にして登山家のウォルター・ウェストンによって名付けられ、世界に紹介された。ウェストンは富士山にも登っている。
どうも日本人は自国のものでも外国で評価を受けてから評価をしなおすという傾向があるようだ。近年注目を集めている伊藤若冲もアメリカ人ジョー・プライスの蒐集努力で脚光を浴びたようだ。
富士山が世界的に見て美しい山で日本の文化に深く根付いていることは良く分かるし、世界遺産に登録したい気持ちも良く分かる。世界遺産になれば観光客が増えるだろう、という地元の気持ちも分かる。
だが批判を承知でいえば「外部の眼」「外国の眼」を気にし過ぎであると私は思う。良いものは外国から国際機関から評価されようがされまいが良いのであり、その人にとって価値のあるものは誰が褒めても褒めなく良いものなのである。
外国に旅行すると人並みに名所旧跡を見ることがあるが、そこが世界遺産だから行く、という意識は私には余りない。また名所旧跡もそこが世界遺産だ、ということを金看板のように打ち出しているとも思われない。もっともこれは私の見落としの可能性も高いので声高にいうことではないが。
外国のある機関からお墨付きを貰おうが貰うまいが価値のあるものはある、と私は考えている。