今日5月3日は憲法記念日。マスコミでは憲法改正手続きを定めた憲法96条改正に対する世論調査の結果などを報じ、この問題が当面の政策論争の要になりそうだ。96条改正の問題は憲法9条改正の前哨戦になるので、イデオロギーの問題のみならず「国防軍」という言葉に対する感覚的な拒否反応などがあり議論が喧しい。
しかし観念的な議論を展開する前に「戦争とは何か」「なぜ人は戦争をするのか」「人類の叡智は戦争を止められるのか」といった問題を少し実証的に勉強するべきではないだろうか?
そのような問題を考える上で必要最小限の知識を手軽に得ることができるのが本書「戦略論の名著」孫子、マキャベリから現代まで(野中郁次郎編著 中公新書)である。
本書は史上著名な12人の戦略家~孫子、マキャベリ、クラウゼビッツ、毛沢東、石原莞爾、リデルハートなど~の中核となっている思想を紹介している。私は原著については孫子、マキャベリ、クラウゼビッツあたりを読んだのみだったので、今日にいたる戦略論の大きな流れを理解する上で益するところが大きかった。
ところでなぜ今「戦略論」を勉強する必要があるのだろうか?本書の中から幾つかの文章を引用しよう。
・・もし平和を望むのであれば、過去の戦争を研究するべきではなかろうか。・・・まず考えるべきは、そもそも日本人にとって「戦争とは何か」ということだ。GHQの指示下・・・日本では「平和主義」というテーゼのもと、「戦争はよくない」「平和を希求すれば平和が訪れる」という考え方が教えられてきた。
・・・ほとんど(の人)は平和を望み、戦争をできれば避けたいと思っている。しかし、それでも戦争は起きることがあるのだ。・・・だとすれば、なぜ(戦争が)起こるのかを歴史から学び、現実を直視し行動することがこの難問、戦争を避ける最善の道であろう。
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「なぜ戦争は起きるのか」という問いに対する一つの答についてクラウゼビッツ流に説明すると「二つの集団の間に利害対立があり、自分の意志を力を持って相手に強要しようとし、相手が力を持って対向する時戦争がおきる」。戦争とは他の手段をもってする政治的交渉である。
しかしクラウゼビッツの時代と現代では兵器の面で大きな違いがある。それは核兵器の出現だ。万一超絶的な核兵器を使用すると彼我に甚大な被害を及ぼすでので核兵器は「事実上仕えない兵器」である。そして大国間の正面衝突のリスクは減り、ゲリラやテロ活動のリスクが高まっている。だがそのことは我々にとって「戦略論」を勉強することの必要性を減じるものではないだろう。
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本書は二十世紀の最も著名な戦略家と言われるリデルハートの項目の中で著者は次のように述べている。
戦後日本の外交・安全保障政策は、平和主義に基づく、超リデルハート流の超間接的で超リベラルな戦略を展開してきたとも解釈できる。しかし、それは蜃気楼的施策である。それには、それを可能とし、保障する「力」の裏付けが必要とされる。・・・・日本を守るには、日本人が戦う「意志」と「能力(武力)」を持ち、それを相手に「認識」させることで、敵国の攻撃や侵略の意図を粉砕する「抑止力」を発揮しなければならない。
抑止力という言葉は核兵器の発達とともに領域を広げた言葉だが、実は25百年前の孫子の中にも述べられていた。
「用兵の法は、其の来たらざるをたのむことなく、吾の以って待つ有ることをたのむなり」つまり平和を希求する国を武力侵攻するような邪な外国勢力は周辺に存在しないという希望的観測に依存することなく、不敗の防御態勢を構築することが国防の要だと孫子は喝破したのである。
昨今の近隣諸国の動きを見ると孫子の言葉は今なお現実味を持っているのである。