昨日(5月19日)テレビで女子ゴルフの中継を見ていたら、スポンサーの「ほけんの窓口」が「カネガ」大切、というコマーシャルを流していた。「カネガ」は「お金」moneyではなく、介護・年金・学資の頭文字を取ったもので、これらの人生の一大イベントを保険で面倒を見ましょう(自分で事前に保険を買っておきましょう)という話である。
このコマーシャルは、働き盛りの現役世代向けのコマーシャルで私には余り関心がない。私にとって子どもの学資はかなり昔に終わった話であり、今貰い始めている年金は今から増やす方法はなく、幸いなことに私自身のみならず両親にも今のところ介護に縁はない。
だが語呂合わせという発想が面白く、我々中年が今後抱える問題をピックアップしてみた。それが「ケン・カ・ヤリ・ソウ」である。ケンは「健康」、カは「介護」、ヤは「やり甲斐」、ソウは「相続」である。「やり甲斐」は「生き甲斐」の方が直截的なのだが、語呂からやり甲斐とした。
この4つは独立した事象に見えて、実は非常に関係が深い、と私は考えている。そしてそのキーになるのは「やり甲斐」「生き甲斐」である。どういうことか?というと人は「やり甲斐」「生き甲斐」つまり人生の目標を持っていると、体を鍛えよう、健康を維持しようと努力する。しかし人生の目標が曖昧だと「健康そのもの」が目的になってしまう。健康そのものが目的になってしまうと人の欲望はきりがないので、病院のはしごや薬フリークに陥る可能性が高い。
さて不健康が高じてくると「介護」の問題が発生する。「介護」は相続問題を複雑化させる可能性が高い。というのは特定の相続人に介護負担がかかると、「寄与分」の問題が発生する。「寄与分」の問題が発生しなくても、健常で意思能力がはっきりしている時に、遺産相続問題を片づけて置かないと残された遺族が苦労するだろう。
以上のように考えてくると、人生の第3コーナーを回りつつある中高年にとって、ケンカヤリソウの中の「ヤリ」がかなり大きな課題であることに気がつく。働いている時は働くことが「やり甲斐」だった。自分たちがやってきた仕事が本当に人のため、世のために役に立ったか?は疑問とはいえ、である。
一方第3コーナーからはゴールが見えてくる。つまり「死ぬ」ということである。形あるものは何時か壊れ、命あるものは何時か滅びるという自明の理が見えてくるはずだ。自明の理が見えない人はむしろ不幸ではないか?と私は考えている。「やり甲斐」と「いつかは命の果てる時がある」という二律背反的な思いの均衡が正常に機能する時、素直に「健康」や「相続」の問題に向き合うことができる、と私は考えている。