金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

憲法改正議論に見る日本人の不思議さ

2013年05月11日 | うんちく・小ネタ

憲法改正手続きの是非をめぐって議論が喧しい。憲法を変えやすくことの是非はさておいて、私に不思議に思えることは「日本人ってこんなに原理原則を重んじる国民だったのか?」という疑問だ。

今の憲法は言うまでもなく自分たちで作ったものではなく、第二次大戦後アメリカの進駐軍が草案したものである。GHQのホイットニー民政局長は、日本側が作成中だった憲法草案を完全に否定し、GHQが作成した草案を採択しないと天皇が戦犯になる可能性を示唆して強引に押し付けたものである。今の憲法は戦争の勝利者としての終戦直後の米国の日本に対する要求が強く投影されたものであることは明らかである。英国やフランスなどの憲法が自国民の手作り憲法なのに較べて、日本国憲法は進駐軍お仕着せの憲法である。

歴史を振り返ると日本人は長年尊重してきた原理原則や規範を「状況変化」で弊履のごとく捨ててしまうことがある。例えば明治維新後の廃仏毀釈。それまで何百年も拝まれてきた仏さんたちは八百万の神にあっという間に蹴りだされてしまった。

第二次大戦敗戦後は戦前の価値観は一変。鬼畜米英はアメリカ様さまに早変わり。

私は変わり身の速さが一概に悪い、というつもりはない。変わり身の速さは環境適応力の高さである。尊王攘夷を叫んで刀を振り回していた人も政府高官となり、大金はたいて外国人を雇い入れる。だから短時間の内に先進国の仲間入りができた。

このような変わり身の速さ、良く言えば環境適応力の高さが日本人の身上だと思うのだが、こと憲法の話となると金縛りにあってしまうのは何故なのだろうか?

以下はその理由に関する私の推測。

・お仕着せの憲法ながら非常に出来が良い。60年、70年という時代の変化にも色褪せない素晴らしい出来栄え。だから変える必要がないと真面目に考えている人がいる。

・憲法の条文は変えなくても、解釈を変えるから変えなくても良いと判断している人がいる。

・「憲法を変えない」とお題目のように唱えていることが自分の存在意義につながり、ひいては生計に結びつくような人がいる。

・憲法は一種の理念理想であり、国家の権益確保の具体的規範でなくても良いと考えている人がいる・・・・・・・・

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中高年登山の楽しさとリスク

2013年05月11日 | 

私が一緒に山登りをしている某ロータリークラブのトレッキング同好会から「今秋50回目登山の特別企画として台湾の玉山(新高山)登山をします」という案内が来た。

このトレッキング同好会は某銀行と某損保のトップ経験者がプローモーターとなってほぼ毎月のように山歩きをしている同好会で私も8割方参加している。「良く続くものだな」と感心する会である。

登山の楽しさというものは、山に登らない人からは分からない。もっとも分からないといえば、何事でもやらない人にはその趣味の楽しさは分からないだろう。野鳥観察に興味がない人は何故首が痛くなるほど高い梢を見上げて「あの鳥はなんだかんだ」などというバードウオッチャーの楽しみは分からない。

だが山登りと中高年が楽しむ他の大方の趣味の間には「一つの大きな相違点」と「一つの大きな共通点」がある。「相違点」は山登りが、登山スタイルにより差があるとはいえ、大なり小なり抱えている生命のリスクが他の趣味より圧倒的に大きいということだ。だから「なぜそんな危険まで冒して山に登るのか僕には分からない」という第三者意見が出るのである。

「共通点」は「仲間を作る。同好会化する。」という点だ。一種のシニア・クラブである。

諸井薫の「定年で男は終わりなのか」という寂しくなるような題のエッセー集に次のような文章が出てくる。

諸井氏は大手商社の取締役をやっていた知人から退職挨拶状を受け取った。挨拶状に「引退はしましたが飲退はしていません」とあったので、誘い出して飲みに行った。そこで元商社役員から次のような話がでた。

僕たちの登山の仲間というのは、学生時代から続いているのもいれば、勤め先の同好の士もいるんですが、今年で全員退職しまして、紛れもないシニアになりました。そこで改めてシニア・クラブを結成しましてね・・・・年に二回はパーティを組んで山歩きをやりことにしていまして。そのためにはトレーニングを欠かすわけにはいかないから、老人ぶってなんかいられない。

だが男の話を聞いて諸井氏はシニカルな見方をする。

そういう(山登り)趣味のない私(諸井氏)は、(なるほど楽しそうだな)と羨ましがりながら、どこか無理をかんじたものだった。・・・男が憤懣やるかたない思いで、会社を退いていったのが、私には目に見えるようだった。それだけに、男が自分で自分をけしかけるようにして、山仲間との交情にのめり込んでいく様子が、私には哀れを誘った。

諸井氏のエッセーと某トレッキング同好会をそのまま重ねる訳にはいかない。少なくともプロモーターの人たちは「憤懣やるかたない思い」で会社を退いたとは思えないし、ロータリーという会の性格上多くのメンバーは中堅企業の二世、三世のオーナーで「自分をけしかけて、山仲間との交情にのめり込む」ことはないだろう。

だが二つの話がまったく重ならないか?というとそうではない、と私は思う。「功成り名を遂げた人」でも「働き盛りの経営者」でも、人は何か不完全燃焼な思いに取り憑かれているのではないか?と私は感じている。つまり個人として「もっと力を出し切りたい」「まだまだ頑張りたい」という思いを人は抱き続けるものだと私は考えている。人は生きている限り何かに挑戦を続けるものだ、とすれば山は最高の舞台の一つだろう。私は諸井氏のようにシニカルな見方はしないが、それは「そういう(趣味)の有無」の違いから来ているのだろうか?

当然のことながら私の中高年登山愛好者に対する思いは優しい。組織の階段を汲々として登ってきた人がある日組織を離れる。そしてふと山に登る。最初は息を切らして。だが男はやがて、人生には組織の壁なんかよりはるかに重要な登るべき壁を見出す。より高い頂へ、より険しい稜線へ、夏山から雪のある時期の山へと男の壁は広がっていく。山と自然を知らないまま終わっていく人生に較べて山を知った人生の何と豊饒なことか。

だが実はここにリスクが潜む。山登りでの挑戦のベクトルを「ルートの困難さ」に揃えると遭難リスクは高まる。そもそも体力やバランス感覚は低下する一方の中高年が技術的な困難を追求することに無理がある。挑戦マインドのベクトルを変える必要があるあろう。

今年のGWでも何人かの中高年登山者の方が遭難された。個々の遭難には個々の理由があるが、挑戦マインドのベクトルが先鋭過ぎたのではないか?と私は感じている。

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海外旅行のドル高リスクヘッジの限界

2013年05月11日 | うんちく・小ネタ

今朝(5月11日)の新聞を広げると経済面は「円4年半ぶりの円安100円を超える」「日経平均146百円を超える」など円安・株高の話がてんこ盛りだ。日本の生保が3千億円の外債を買い越したというニュースがドルを101円台半ばまで押し上げた。次の壁は102円にあるが、為替市場の暴れ者達のアニマルスピリットに火がついたので、あっさり破るかもしれない。

ところで円安は自動車産業など輸出企業にはプラスだが、我々一般の消費者にはプラスなのだろうか?いや「一般の消費者」をより正確に「円安や株高が所得増加につながらない~証券投資のキャピタルゲインを除いて~消費者」と言い換えよう。生活のボディブローは消費者物価の上昇だが、分かりやすい例で海外旅行を考えてみた。

昨年秋に続いて今年の秋も私はネパールをトレッキングする予定だが、円安で7,8万円持ち出しが増える見込みだ。ネパールの旅行会社に依頼するトレッキングは存外安く往復飛行機代や小遣い込で3,500ドル程度なので1ドル80円であれば28万円で済んだ。ところが1ドル100円になると35万円になる勘定だ。

むろん漫然とドル高の進行を見ている訳ではなく、外債(ドル・ユーロ)投資を行なっているので、今年の旅行費用の為替ヘッジはできている。更にいうと2,3年のトレッキング費用相当分程度は外債投資を行なっているので、少し先まで旅行代金の為替ヘッジはできている。

だがもし円安傾向がもっと長く続くとすればどうなるだろうか?「定年退職後は時々夫婦でヨーロッパに豪華な旅行を」などとと考えている人には予想外の負担が発生する可能性がある。

ところで円安というが、今回はドル高と捉えておいた方が良い、と私は考えている。つまり米ドルの魅力が高まってきたことでドルが買われる下地ができている、という見方だ。むろん安倍政権主導によるリフレ政策の効果は大きい。市場に大量の円を供給するから円の価値が下がるのは当然の結果だ。

だが気になるのはズルズルと円の価値、つまり外国の商品(輸入品や海外旅行)を購入する力が低下することだ。一方住宅市場の回復、雇用の増加、製造業の活性化などで米国経済はジワジワと実力を取り戻しつつある。米国という国は本当にresilient(弾力性)があると思う。

円安が定着する結果、エネルギー価格の上昇が日常生活を圧迫し、高くなる旅行費から海外旅行の計画を縮小したり旅行回数を減らすことになれば、生活の質は劣化する。これは少々の為替ヘッジでは対処できないリスクだ。「円安・株高・景気浮揚感」が膨らむ裏で、確実に輸入価格上昇リスクが同時進行している。

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