憲法改正手続きの是非をめぐって議論が喧しい。憲法を変えやすくことの是非はさておいて、私に不思議に思えることは「日本人ってこんなに原理原則を重んじる国民だったのか?」という疑問だ。
今の憲法は言うまでもなく自分たちで作ったものではなく、第二次大戦後アメリカの進駐軍が草案したものである。GHQのホイットニー民政局長は、日本側が作成中だった憲法草案を完全に否定し、GHQが作成した草案を採択しないと天皇が戦犯になる可能性を示唆して強引に押し付けたものである。今の憲法は戦争の勝利者としての終戦直後の米国の日本に対する要求が強く投影されたものであることは明らかである。英国やフランスなどの憲法が自国民の手作り憲法なのに較べて、日本国憲法は進駐軍お仕着せの憲法である。
歴史を振り返ると日本人は長年尊重してきた原理原則や規範を「状況変化」で弊履のごとく捨ててしまうことがある。例えば明治維新後の廃仏毀釈。それまで何百年も拝まれてきた仏さんたちは八百万の神にあっという間に蹴りだされてしまった。
第二次大戦敗戦後は戦前の価値観は一変。鬼畜米英はアメリカ様さまに早変わり。
私は変わり身の速さが一概に悪い、というつもりはない。変わり身の速さは環境適応力の高さである。尊王攘夷を叫んで刀を振り回していた人も政府高官となり、大金はたいて外国人を雇い入れる。だから短時間の内に先進国の仲間入りができた。
このような変わり身の速さ、良く言えば環境適応力の高さが日本人の身上だと思うのだが、こと憲法の話となると金縛りにあってしまうのは何故なのだろうか?
以下はその理由に関する私の推測。
・お仕着せの憲法ながら非常に出来が良い。60年、70年という時代の変化にも色褪せない素晴らしい出来栄え。だから変える必要がないと真面目に考えている人がいる。
・憲法の条文は変えなくても、解釈を変えるから変えなくても良いと判断している人がいる。
・「憲法を変えない」とお題目のように唱えていることが自分の存在意義につながり、ひいては生計に結びつくような人がいる。
・憲法は一種の理念理想であり、国家の権益確保の具体的規範でなくても良いと考えている人がいる・・・・・・・・