金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

東京の最高峰を厳冬期に歩いた

2010年01月24日 | 

1月23日(土曜日)と24日(日曜日)、会社の仲間二人と三峰神社から雲取山に登り、JR奥多摩駅まで縦走した。1日目(23日)は所沢7時52分発のレッドアロー号で秩父へ。三峰神社行きのバスは9時10分発。終点三峰神社まで行った山仕度の人は我々を含めて12名だった。10時30分バスの終点三峰神社到着。私は昔ワイフと車でここにお参りしたことがあるが、同行の二人は初めてなので、登山の前にまず神社にお参りする。

Mitsuminejinjya

三峰神社は荘厳で立派だ。11時に神社を出発してまず霧藻ケ峰(1523m)を目指す。ここには休憩小屋があり、コーヒー・お茶一杯300円なので頂くことにして昼食を取った。到着は12時20分頃。北部の景色が素晴らしい。

Ryougamisann

上の写真は休憩小屋の前から撮った両神山だ。ギザギザの稜線の右手の白い山は浅間山だ。写真には入っていないが右手に谷川岳の白い姿も見えた。

白岩山(1921m)の手前1800m付近から軽アイゼンを着ける。積雪は多いところで30cm程度なのだが、今日のルートは北面なので凍っているところが多かった。14時55分白岩山到着。真っ青だった空はいつの間にかどんよりと曇り、ちらほらと粉雪が舞ってくる。白岩山からは芋ノ木ドッケというピークの西側を巻く。この辺りが三峰ルートの一番の難所だろう。

16時12分の雲取山荘到着。この日の宿泊客は30名程度ということだ。夕食は18時からというので、仲間とワイン・日本酒パーティをする。8畳程の部屋は我々独占で気持ちが良い。部屋の電気炬燵は一晩中暖かかった。一泊二食7,500円というのは中々お値打ちであると私は言いたい。

24日5時半起床。朝食は5時50分から(前日のアナウンスは6時から)。食事の前の小屋の写真を一枚撮る。

Kumotorisannsou

午前6時40分雲取小屋出発、まず雲取山を目指す。7時10分雲取山到着。

Kumotoriyama

富士山から南アルプスの北岳、甲斐駒ケ岳、千丈ケ岳、赤石岳などまじかに見える。

Kumotorisita

雲取山から南にお下る斜面は写真のとおり雪がたっぷり着いている。登りに着けたアイゼンは暫く着けたままにして、七ツ石山を越え高丸山で外した。

Hujisan

今日は一日富士山につき合って貰う。鷹ノ巣山(1737m)に11時20分到着。このピークが今日雲取山からの下山路に使った石尾根の中間点にあるピークだ。11時20分に到着して20分程休憩した。

鷹ノ巣山まで高丸山など幾つかのピークの上り下りを繰り返してきた石尾根ルート(実は巻き道もあった!)も鷹ノ巣山からはほぼ降りのみとなった。六ツ石山から急斜面を降り切ると、三ノ木戸林道に降る道が出てきた。最初は石尾根を奥多摩まで下る予定だったが、少し楽そうに見える三ノ木戸ルートを取ることにした。林道到着は14時、そこから舗装された林道や細い間道を歩いて奥多摩駅には14時55分に到着。奥多摩駅の2階の食堂で乾杯!

Beer

こうして今年最初の登山は無事終了した。

冬の雲取山。私が選ぶ「雪の五十名山」に入る良い山だった。

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中国当局、貸出抑制に窓口規制

2010年01月21日 | 金融

「窓口規制」とは昔の銀行員には懐かしい言葉だが、最近の銀行員は知らないかもしれない。「窓口規制」とは日銀が民間金融機関に対して、企業に対する貸出増加額を適切と判断する範囲に留めるように直接指導したことだ。強制力はないが、高度成長時代に恒常的に資金不足だった都銀は、日銀からの借入でまかなっていたので、窓口規制に従うメリットを選択していた。しかし高度成長時代が終わり、金余りの時代がきた1991年に廃止されている。

中国では昨日当局(中国銀行業監督管理委員会)が、総ての銀行に対して貸出枠を当てはめるとともに、最も積極的に貸出を伸ばしている銀行については貸出をやめるように「口頭でガイダンス」を出したとFTは報じている。まあ、中国版窓口規制というところだろう。

昨日の市場はこのニュースを受けて、世界的に株価が下落した。たとえばブラジルの株価(ボベスパ指数)は、2.4%下落している。これは鉄鉱石などブラジル産品の最大のお客さんの景気が減速するだろうという想像が働いたものだ。

中国の銀行は昨年景気刺激策をサポートするようにという政府の命令を受けて、9兆6千億元の新規貸出を行った。これはその前の年の倍の金額だ。

今年に入っても貸出は異常なペースで伸びていた。1月の最初の2週間で1兆1千億元(1,610億ドル)の新規貸出が行われたとFTは報じている。仮にこのペースで行くと年間では30兆元というとてつもない貸出が行われるので、当局はブレーキをかけた。

銀行業監督委員会のLiu会長は「今年の新規貸出額は7兆5千億元(1兆1千ドル)で昨年比22%の減少になるだろう」と予想を述べている。この貸出増加額は経済成長を持続させる上で十分な金額なので、中国当局が政策転換をした訳ではないと判断される。むしろこれは準備率の0.5%引き上げやインターバンク金利の引き上げと整合性のあるインフレ抑制策であり、中国の経済成長を大きく阻害するものではないだろう。アナリストは中国がベンチマークとなる貸出金利の引き上げを年前半は行わず、後半に緩やかな引き上げを行うと予測している。

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How the mighty fall. あるいは小沢氏も

2010年01月21日 | 政治

昨日(1月20日)の日経朝刊・社説はJALの倒産に至る道筋を、ジム・コリンズの説を引用して説明していた。これは個人的なことながら、私にとっては誠にタイミングの良い文章だった。というのは地域金融機関向けの小雑誌(New Finance)1月号に私はジム・コリンズのこの意見を紹介したが、昨日この雑誌が読者のお手元に届く時期だったからだ。地域金融機関の役職員という読者層を考えた場合「偉大な企業はどのようにして失墜するか」(原題How the mighty fall)という内容はやや関心が薄いのではないか?というちょっとした懸念を持っていたからだ。だが恐らく何割かの読者は日経の社説と私の小文を重ねて読まれたのではないか?と推測している。

ところでこのmightyという言葉だが、形容詞として「力のある、強大な」という意味があるとともに、名詞としては集合的に「力のある人」という意味がある。用例としてはThe rich and the mighty(金持ちと権力者)というように。

今「力のある人」「権力者」というと、民主党の小沢幹事長の名前が頭に浮かぶ人が多いのではないだろうか?そしてHow the mighty fall.という文章から「権力者はどのようにして墜落するか?」ということに思いを巡らす人もいるだろう。

ジム・コリンズの破綻にいたる5段階説を再確認してみよう。第一段階が「成功が慢心を生む」段階、第二段階が「規律なき拡大を追及する」段階、第三段階が「リスクと危険を否定する」段階、第四段階が「ひたすら救世主にすがる」段階、そして最後が「救済手段が破綻して敗北する」最終段階だ。

小沢氏の政治資金問題について私はマスコミ情報以上の情報は持ち合わせていないので、この段階で白黒を述べるつもりはないが、小沢氏はもっと早く特捜部の事情聴取に応じるべきであったと考えている。

「昨年の総選挙で民主党が大勝したことで、政治資金疑惑問題は終了した」とか「検察と全面対決する」などという小沢氏の発言は、私には「成功が慢心を生む」段階と「リスクと危険を否定する」段階が混在した段階からの発言と聞こえる。

私は先の選挙で民主党に投票していないので、当然小沢氏の政治資金問題は解決していないと思っているが、民主党に投票された方の中の多くの人も民主党を選んだことと小沢氏の政治資金問題を不問にするということは別だと考えているのではないだろうか?

小沢氏およびそのエピゴーネンの一連の発言は「慢心しながら民意という救世主に頼ろう」とするように見えるが、民意はそれを認めるのだろうか?

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カンリガルポとジョウビタキ

2010年01月19日 | うんちく・小ネタ

カンリガルポとはチベット高原東辺の高峰群の名前だ。チベット高原を西から東に流れてきたヤルツァンポ川は南に大きく曲がり、プラマプトラ川となってベンガル湾に向かう。カンリガルポ山群はこのヤルツァンポ川のU字屈曲点に近いところにある。

昨日このカンリガルポ山群の中の未踏峰KG-2 標高6,805m(登頂後ロプチン Lopchin Fengと命名)に初めて登頂した神戸大学登山隊(正確には神戸大学・中国地質大学(武漢)合同カンリガルポ山群学術登山隊 2009)の報告会が東京であり出席した。内容はこちら→ http://www.acku.net/

海外の高山とはもう縁がないなぁ・・・と思っていたが、昔カラコルムにご一緒した井上隊長(神戸大学山岳会会長)のお話や頂上直下でゼイゼイと喘ぐ登頂メンバーの録画を見ると、ヒマラヤに思いを馳せていた40年前を思い出した熱くなった。

報告会で久しぶりにあった3年先輩のTさんなどと「3,4年先にはジープ旅行でよいから、チベット高原に行きましょう」とメートルをあげた。

上機嫌で家に帰り、パソコンを見ると会社の先輩で野鳥観察の大家の三間さんから「この前君のブログ(落合川の野鳥)に乗っていたキビタキはジョウビタキの間違いだよ」とご忠告のメールが来ていた。

このかわいい小鳥が「ジョウビタキ」であることは知っていたのだけれど、頭のどこかに「キビタキ」という言葉がひっかかっていて「キビタキ」とブログに書いてしまった次第。

カンリガルポとジョウビタキの間には一般的には何の関係もない(ジョウビタキは中国北東部やチベットから飛来するという話なので、一部カンリガルポの近くから来る鳥がいるかもしれないが)が、私の中では「年齢的にちょっと先輩でその道のスゴイ人が身近にいる」ということを改めて実感した一日だった。

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米国の銀行特別課金をどうみるか?

2010年01月19日 | 金融

先週オバマ大統領は銀行に「金融危機責任料」として、向こう10年間で900億ドルの特別税を検討していると発表した。予定では来月の国会で2011年会計年度予算案として可決され、6月から実施されることになる。

これに対する銀行業界の反応は分かれている。ファイナンシャルタイムズによると米国証券業金融市場協会Sifmaは Sidley Austin法律事務所の Carter Phillips弁護士を雇って、この「極めてターゲット的で懲罰的な課税」に対して、どのように対応するか検討を始めた。

強い対抗策は、特別課税の違法性を裁判所で争うというものだが、今のところ業界の意見は割れているとFTは報じている。

ところでFTは本件に関するモハメッド・エルエリアン氏の意見を掲載していた。エルエリアン氏は債券ファンドの大手・PIMCOの最高共同経営責任者だが、明快な意見を述べているところが興味深い(日本ではこの手の問題に投信会社の社長が見解を述べることはないだろう)。

エルエリアン氏の意見は「銀行へ課金はメリットはあるが、金融システムへの強い影響力は持たず」というものだ。

同氏は4つの論点を挙げる。

まず最初に「課金は政治的に人気がある」という点。もっとも単純なレベルの分析では「銀行の巨額なボーナスや高まる失業率に対する人々の怒り」に対する政府の反応を示すという効果がある。より深いレベルでは「金融支配型の経済は、ポスト工業社会が成熟した時の自然な状態」という欠陥のある幻想の終わりを印象付けるものだ。

第二に「銀行業界の高収益は2008年に取られた例外的な政策により大きな利益を得ている」という点。これは銀行が政府から公的資金を得た(大部分は既に返済されている)ことだけでなく、銀行の市場調達に対する政府保証、流動性を確保するための超低金利政策を含む。超低金利政策のため長短金利の差が拡大した。このため預金を受け入れている銀行は金利差で大きな利益を上げることができた。

第三に「この政策は長期的な金融業界に対する規制強化方針と整合的である」という点。

第四に「財政赤字が拡大する中で、政府に増収効果がある」という点。もっとも私見を加えると年間90億ドル(8千億円強)という額はそれ程大きいものではない。銀行業界のボーナス総額の20分の1程度だという見方もある。

エルエリアン氏はこれは完全に出来上がった取引done deal(これは俗語)なので、これについて議論するより、この現象が米国およびその他の先進国にどの程度拡大するかを見るべきだと述べる。つまり銀行業界に勝ち目ナシという判定だ。

業界選択的な課税による効率性が損なわれることや経済的なねじれの議論は起こりうるが、世論は聞く耳を持たずというところだろう。

エルエリアン氏は以上のようなことから、大手銀行に「金融危機責任料」を課すことは理解できるし、弁護し得ると述べる。しかし同氏はこの政策は本質的な問題の解決に資するところはほとんどないと述べ、先進国経済は構造的な変化に全面的に対応する必要があると述べている。

☆   ☆   ☆

資産運用で重要なことは、個別銘柄の選択ではなく、資産配分である。長期的な資産配分を決める上で重要なものは歴史観ではないか?と私は思っている。

ピムコのビル・グロス氏やエルエリアン氏は昨年夏頃「ニューノーマル」という言葉でポスト金融危機後の世界を説明し始めた。

私は彼等のニューノーマルを十分理解している訳ではないが、私なりにニューノーマルを考えると、投資面では暫くローリスク・ローリターンの世界が続くと考えている。このような時代に過度のハイ・リターンを求めることはリスクを取り過ぎることになる。

歴史観とはこのように「変えることのできない潮流」を認識し、逆らわないことだと私は考えている。

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