梅雨というのに雨が降らない日曜日(7月8日)なので、ワイフと車で鶴川の旧白洲邸に行き、帰りに府中のサントリー・ビール工場に寄ることにした。自宅から鶴川までは30km1時間弱の道のり。旧白洲邸の住所をカーナビに打ち込んでいったが、正しく表示されず少し迷った。私のカーナビは5,6年前の地図から更新していないので、時々目的地近くで機能しなくなることがある。さて旧白洲邸・武相荘だが、鶴川街道のユニクロの奥にあった。駐車場はコメダ珈琲店の北側に5台ある。
白洲次郎・正子夫妻がここに引越してきたのは昭和18年で、引越し当時から次郎はすまいを「武相荘」と名付けて悦にいっていた。武相荘とは武蔵と相模の境にあるこの地と無愛想をかけて名付けられた。白洲正子自伝によると次郎が日産系の会社を辞めた退職金で古い農家を買ったということだ。
当時はまだ一般の人は日本は戦争(太平洋戦争)に勝つものと思っていたが、次郎には日本への空襲や敗北が見えていたので、戦渦を避けて都心からこの地に引っ越してきたということだ。
敷地の入り口には椿の実がなっていた。
建物の中には当時の食事がロウ細工で再現されたいたが、サフランライスや長いアップルパイなどとても洒落たものである。今でもこれ程西欧的で洒落た食事をする家はそう多くはあるまい。
庭先には竹やぶがあり、その中に石塔が立っている。
私正子について詳しく調べている訳ではないが、1998年に逝去した正子のことを思うと日本の近代史が凝縮しているという思いを強くせざるをえない。正子の父方の祖父は薩摩隼人の海軍大将樺山資紀で、母方の祖父も同じく薩摩隼人の海軍大将川村純義だ。つい10年程前まで生きていた人が直接明治維新の頃から活躍した人のひざに抱かれていたと思うと近代日本の黎明というのも意外に近く思われるものだ。
もう少し次郎のことを書いた本や、正子の著書を読んでからまた訪れたいと思った。できれば冬の雪が積もった時などが良いと思った。