金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

多摩を縦断して旧白洲邸へ

2007年07月08日 | まち歩き

梅雨というのに雨が降らない日曜日(7月8日)なので、ワイフと車で鶴川の旧白洲邸に行き、帰りに府中のサントリー・ビール工場に寄ることにした。自宅から鶴川までは30km1時間弱の道のり。旧白洲邸の住所をカーナビに打ち込んでいったが、正しく表示されず少し迷った。私のカーナビは5,6年前の地図から更新していないので、時々目的地近くで機能しなくなることがある。さて旧白洲邸・武相荘だが、鶴川街道のユニクロの奥にあった。駐車場はコメダ珈琲店の北側に5台ある。

Buaisou 

白洲次郎・正子夫妻がここに引越してきたのは昭和18年で、引越し当時から次郎はすまいを「武相荘」と名付けて悦にいっていた。武相荘とは武蔵と相模の境にあるこの地と無愛想をかけて名付けられた。白洲正子自伝によると次郎が日産系の会社を辞めた退職金で古い農家を買ったということだ。

当時はまだ一般の人は日本は戦争(太平洋戦争)に勝つものと思っていたが、次郎には日本への空襲や敗北が見えていたので、戦渦を避けて都心からこの地に引っ越してきたということだ。

敷地の入り口には椿の実がなっていた。

Tubaki_1

建物の中には当時の食事がロウ細工で再現されたいたが、サフランライスや長いアップルパイなどとても洒落たものである。今でもこれ程西欧的で洒落た食事をする家はそう多くはあるまい。

庭先には竹やぶがあり、その中に石塔が立っている。

Sekitou

私正子について詳しく調べている訳ではないが、1998年に逝去した正子のことを思うと日本の近代史が凝縮しているという思いを強くせざるをえない。正子の父方の祖父は薩摩隼人の海軍大将樺山資紀で、母方の祖父も同じく薩摩隼人の海軍大将川村純義だ。つい10年程前まで生きていた人が直接明治維新の頃から活躍した人のひざに抱かれていたと思うと近代日本の黎明というのも意外に近く思われるものだ。

Buaisou2_1

もう少し次郎のことを書いた本や、正子の著書を読んでからまた訪れたいと思った。できれば冬の雪が積もった時などが良いと思った。

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悪魔の辞典の参院選挙

2007年07月08日 | 国際・政治

今週(7月12日)参院選挙の告示が行われる。すでに年金問題などを巡って選挙戦に入っているようなものだが、政権与党の公約も野党の言い分も空しく響く。年金問題についてはお互いの足の引っ張り合いで具体的な解決にむけての提言が乏しい。

これではビアスの「悪魔の辞典」の「政治」の定義の世界だ。ビアスは政治とは「主義主張の争いという美名のかげに正体を隠している利害関係の衝突。私の利益のために国事を運営すること。」と定義する。

悪魔の辞典には「政治屋」の項目もある。政治屋とは「組織社会という上部構造物の土台となっている泥の中に住むウナギ。そいつは、のたうつとき、自分の尻尾が動いたのを建物が揺れ動いたものと思い違える」と説明されている。

悪魔の辞典には参議院という項目はなかったので、北の旅人が追加しよう。「二流の政治屋のために用意された共済システム。実際には行使できない拒否権をご神体としている税金の浪費団体」

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