テレビのコマーシャルにお墓の広告がある。息子が母親に電話で「定年を迎えた」というと母親がこれを機会に墓を作れという。息子は「まだいい」というと母が無事定年を迎えることが出来たのは先祖や皆さんのお陰だから墓を作らんといかん怒るという話だ。
これを見て「あーそうか、俺もそんな年に近づいてきたか」と思う時がある一方で、今日のエコノミスト誌の日本の高齢化に関する記事のように「定年を70歳にしては?」という話を読むと定年というのもはるか先の話に思えリアリティが薄くなる。70歳で定年を迎えるとなるといくら平均寿命が延びたとはいえ、母がもうこの世にいない可能性が高いと思う人も多いだろう。
日本の大部分の会社は未だ60歳を定年としたまま、嘱託再雇用制度を導入することで平成16年に制定された改正高年齢雇用者安定法に対応している。私の身の回りの先輩もこの制度で60歳以降働く人が増えている。緩やかな形ではあるが、定年というハードな岸壁が崩れて雇用の地平線があいまいになりつつある。
ところでこのエコノミスト誌の記事の面白いところを紹介しよう。それは「民主主義の歴史において今回の参院選挙で初めて高齢の投票者が政権を覆すかもしれない」と言っていることだ。従来は自民党を支持する高齢者が多かったが、今回の選挙ではこの層が民主党に向かっている可能性が高いという訳だ。
2015年までに高齢者の比率は4人に1人になり、絶対数で3千万人を越える。高齢者層は今後選挙でますますパワーを持つ。税金や社会保障制度というものは、高所得者と低所得者の間の富の再配分のルールであるとともに、現役層から退職層への所得移転の取り決めでもある。ところが金を貰う方の高齢者が多くなり、選挙で大きな力を持つと現役層に不利なルールを決めるのではないだろうか?
2030年までに日本では現役2人が高齢者1人を支え、今世紀半ばには現役3人で高齢者2人を支えることになる。支えられる高齢者が大きな政治的パワーを持ち、自分達に有利な要求をすると現役世代は甚だ不愉快であろう。
国は厚生年金の支給開始年齢を引き上げることで、年金財政の負担緩和を図っている。例えば報酬比例部分の支給開始年齢は最終的には2026年に65歳まで引き上げられる。しかしこれでは効果は小さいし、遅すぎるとエコノミスト誌は言い、慶応大学の清家教授の意見を紹介する。清家教授は迅速に国の年金支給開始年齢を70歳に引き上げるべしと主張する。
エコノミスト誌の主張は定年年齢とともに年功序列型の賃金体系を廃止せよよいうものだ。こうすることで労働力の低下率を半分に緩和できるというものだ。
私の主張も定年年齢の廃止ないしは65歳への引き上げ(さすがに70歳まで引き上げることには抵抗を覚えるが)なのだが、その一つの理由は「現役として働き、現役の立場で投票する選挙民の数を確保する」ということだ。
働くものの発言力が小さい国は活力に欠けるのみならず危険だと思うからだ。もし日本の社会保険料や税金負担が極端に高くなったと仮定すると有能な若者達は日本を飛び出して負担の小さい香港などアジア諸国に職を求めるかもしれない。余りにも現役比率が低い国家は危険と判断する所以である。