今朝(10月12日)の読売新聞トップは「延命医療『望まず』81%」(読売の調査)だった。
記事によると延命医療を望まない人は81%だが、自分で判断が出来なくなった場合に備え、終末期医療の意思を文書で残すリビング・ウイルを作りたいと思う人は44%、そう思わない人は43%と拮抗し、すでに作っている人は1%にすぎない。また延命医療を望まない人でもリビング・ウイルを作りたいと思う人は46%にとどまった。
実はかく語る私も延命医療を望まないし、その意思をリビング・ウイルに残したいと考えながら、まだ作成していない。その理由は「まだ死は先の話」と考えていることと「リビング・ウイルの有効性に対する疑問」である。
読売の記事では「将来の健康や病気になった時の不安は介護などで家族に迷惑をかける」が44%で一番だった。
ところで迷惑と言うべきかどうかは迷うところだが、人が病気になりそして死ぬとなると残された家族にはいろいろな手間がかかる。手間は多かれ少なかれかかるものなので、迷惑というよりは、家族として当然の義務と考える方が正しいだろう。だからといって、残された家族に対して、できるだけかける負担を軽くしたいと望むのが、正常な心理というものだ。
最近はそのような思いを具体化する方法としてエンディングノートの作成などが提唱されている。
IT技術の発展や広い意味の社会福祉制度の発達は、人の死亡に伴う手続を煩雑化し、時には不備に終わる可能性を高めていると私は考えている。
たとえば証券投資や銀行取引のオンライン化だ。昔は「お父ちゃんが亡くなった後、タンスの中を整理したら株券がでてきた」などということで、財産が把握できたが、今や株券は電子化され証券保管振替機構(保振)のコンピュータの中の情報になっている。証券会社とネットで取引していると、紙ベースの預り証はないので、「お父ちゃんのパソコンの中を整理しないとポートフォリオが分からない」という時代になった。
パソコンというと、ブログなど有料・無料でプロバイダーのサーバを利用していたり、エバーノートなどのように大手IT会社のクラウドコンピューティングを利用している場合もある。
残された家族がこれらの契約を解除する手間のことを考えると、この世を旅立つ時にはできるだけ、これらの契約は解除してすっきりしておきたいと思う。しかし突然体や頭がいうことをきかなくなることもあるから、これらの契約は一覧性のあるものにまとめておいた方が良い(と思う。ただし私はまだできていない)
だが世の中には用意周到な人がいるもので、私より15歳ほど年下、つまり40代後半ながら、万一の場合に備えて、奥様に「死亡後の手引書」のようなものを作り定期的に更新している司法書士さんがいらっしゃる。
この司法書士さんは今月24日に日本相続学会http://www.souzoku-gakkai.jp/のセミナーでお話をされるので、その講演を聞いてから、話をまとめようと考えていたが、たまたま新聞にリビング・ウィルの話がでていたので、バタバタとエントリーした次第だ。
自分が実践していないことを論じるので、リアリティを欠いて恐縮だが、恐らくエンディングノートや「死亡後の手引書」を作成するということは、いろいろな契約などを見直し、シンプルな生き方にライフスタイルを変えるきっかけになるのではないか?と私は考えている。