それぞれの国はそれぞれの社会的慣習や慣習から生まれた法制度により、高齢化社会に対応しようとしている。米国の場合、中核をなすのは定年制度がないことだ。40歳以上の従業員を年齢により差別することは連邦法で禁じられている。だから本人に職業的能力がある限り、働き続けることは可能だ。
リセッションで米国のシニアは予定していた老後資金の計画が狂った。彼らは予定していた退職時期を延長したり、あるは既に退職した人も仕事に復帰しあるいは職を探し始めている。
ギャラップの調査によると、その結果65歳以上の就業率(フルタイム+パートタイム+求職者)は2010年の22%から2013年の25%に3%増加した。なおフルタイム就業率も9%から12%に3%増加した。
しかし米国の景気回復の足取りはたどたどしい。雇用は政治家が望むほどには改善しない。雇用のパイが拡大していないので、シニアの働き手が増えた分、若年層で未就業の人が増えている。
18-29歳の年齢階層の就業率(フルタイム+パートタイム+求職者)は82%から80%に2%減少した。
かって成人すれば親元を離れ独立して暮らすのが標準と言われていた米国で経済的理由から成人後も親元で暮らす若者が増えているという。
独立して暮らすことを目指す若者が、米国の文化や経済活動にプラスの影響を与えてきたことは間違いない。米国で親のすねかじりが増え続けるとやがて米国人の気質に変化がでてくることがあるだろうと私は思う。もっともかなり先のことだろうが。
一方儒教的伝統が支配観念であった東アジア諸国では子どもが親の面倒を見ることが困難になり、リタイアメント・ヴィレッジが増える傾向にある(日本ではまだ少ないが)。
高齢化の進展と長引く経済の停滞は、結果として各国の社会的慣習や家族制度の同質化を推進するのだろう。