金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

TPP、参加を決めても受け入れられるかどうかも問題

2011年11月11日 | 国際・政治

当初野田首相は昨日(11月11日)TPP協議への参加を発表する予定だったが、民主党内の意見がまとまらず、発表を本日に延期している。昨夜スポーツクラブで走りながらテレビのニュースを見ていたところ、発表を一日延ばしたのは反対派への配慮で首相の参加表明意向に変化はないという解釈が大勢を占めていた。本日の発表はどうなるだろうか?

ところで日本がTPP協議に参加するかどうかは、問題の第一歩に過ぎない。というのはまず現在のTPPのメンバーと既に協議を重ねている米国、チリ、オーストラリア、ベトナム、マレーシアが日本の協議参加を認めるかどうかという問題がある。

日本でTPP参加に反対する人達の一つの根拠として「これは米国の陰謀だ」という意見がある。ところが米国議会で貿易問題に関係する上院・下院の議員は今週火曜日に連名で日本のTPP参加に警告を鳴らす声明を発表した。日本の参加に強く反対するのは日本で市場シェアを伸ばすことができない米国の自動車業界だ。フォードの外国政府問題担当は「農業の観点からは日本市場を開くことは重要だろう。しかし米国は昨年日本との貿易で600億ドルの赤字を出し、その70%は自動車である。農産物の輸出を拡大しても、この赤字の一部にも届かないだろう」という警告を発している。そして同担当は最近日本が再開した為替介入を批判し、TPPは為替操作を制限する条項を含むべきだと主張している。

もっともこれらの話は米国のマスコミではほとんど話題にもなっていない。私は少し前に「TPPで騒いでいるのは日本の政治家とマスコミだけだ」と書いたが状況は今も変わっていない。http://blog.goo.ne.jp/sawanoshijin/d/20111026

ただし週末にハワイで実施されるAPECの会合を前にして、FTは小さな記事で取り上げており、この話はそこから引用した。

ついでにいうとFTは先ほど紹介した為替操作制限をTPPの条項に盛り込むことについては実現可能性はないだろうと述べている。

むしろ私がここで言いたいことは、日本が仮にTPP協議参加を表明しても、他のメンバーが簡単に受け入れてくれるかどうかという問題だ。経済大国の日本が参加することは、協定に大きな意味を持たせることは間違いないものの、一部の分野で貿易の自由化に反対する日本を交渉仲間に加えることで、交渉が複雑で長くなる可能性が高いからだ。

TPPが目指すゴールは高く、単に関税障壁をなくすだけでなく、国営企業に対する政府の優遇処置の廃止や労働、環境問題、知的財産権に関する統一基準を作ることまで視野に入っていると言われている。

これらの問題になると既に交渉を重ねている各国ともアキレス腱を抱えている。例えば国営企業の比重の高いマレーシアではこの問題のため来年の選挙まで動きがとれないだろうと報じられている。

TPPの旗振り役の米国にも懸念はある。FTは米国政府が支配権を持つGEや米国郵便公社もTPP契約(締結された後だが)に抵触する懸念があると指摘している。

また薬品の特許権保護が強化されると発展途上国では命にかかわる薬の調達に支障がでる可能性がある。

☆   ☆   ☆

純粋に経済学的な議論をすると「自由貿易が輸出側・輸入側双方にメリットをもたらす」という自明の理に反対することはできない。だが個別に見ていくと貿易の自由化や規制の廃止で不利益を蒙る業界はどの国にも存在する。二国間のFTAでも時間がかかるのに、多国間でより目標が高い貿易協定を実現にこぎつけるのは相当ハードルが高い話である。

仮に日本が参加を表明しても「注文の多い日本にはこの段階での協議参加はご遠慮願おう。現メンバーで話がまとまった段階で総て受け入れるなら入れてあげるが嫌ならお入りにならなくても結構」となる可能性もある。

いずれにせよTPPがまとまるとしてもかなり先の話。その時の日本はどうなっているか?日本の農業はどうなっているか?という眺望の上で議論がなされなくてはなるまい。参加を表明したら直ぐにでもメリットやデメリットがでるというものではない。

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【そばをちょっと】巴町砂場雑記

2011年11月11日 | レストラン・飲み屋

今週火曜日の夜虎ノ門の「巴町砂場」で一杯飲んだ。メンバーはこれから立ち上げようとしている「日本相続学界」の準備委員の6名だ。委員会の会場を提供してくれたY弁護士の事務所が「巴町砂場」の向かいなので、委員会の第二部は「砂場で酒でも飲みながら・・・」ということになった次第。蕎麦屋の老舗・巴町砂場は一度行ってみたい店だったのでラッキーな一夜だった。

「砂場の発祥は大阪ですよね」と聞きかじりのウンチクを僕が述べると、Y弁護士やH税理士が「そうです。だから砂場のソバツユは関西風でさっぱりしている」と相槌を打った。皆さん中々食通とお見受けした。

僕が「砂場の発祥は大阪」と知ったのは「蕎麦屋の系譜」(光文社 岩崎信也著)による。この本から巴町砂場の歴史を簡単に紹介しよう。

大阪の「砂場」の由来ははっきりしないが、大阪城築城の時(天正11年1583年)築城資材の砂や砂利の置き場になった「新町砂場」という地名に由来するそうだ。もっとも由来について確かな資料がないため、断定できる結論は出ていないが、岩崎氏は「東京の『砂場』を代表する老舗店の主人たちもそれ(出自が大阪ということ)を認めているのだから、『砂場』の大阪発祥説はすでに定説となっているといっていいだろう」と述べている。

さて「巴町砂場」の歴史である。「蕎麦屋の系譜」によると、文化12年(1815年)の「江戸の華名物商人ひやうばん」に「久保田町すなば」として登場しているのが現在の「巴町砂場」である。天保10年(1839年)に久保田町(虎ノ御門)からそれほど離れていない現在の場所に店が移った。明治2年(1869年)に店があった天徳寺門前町、新下谷町、車坂町が合併して西久保巴町となった。巴町という町名は、三町をくっつけた形が巴形をしていたからだという。それはともかくこれ以後、店の名前に巴町がつくことになった。

ところで「砂場」のそばは量が少ないことで有名だ。僕は会社の近くの「室町砂場」に極たまにざる蕎麦を食べに行くことがあるが、1枚では到底たりず2,3枚は食べる。もっとも砂場の蕎麦は美味いが結構良い値段なので、そうチョクチョク行く気にはならないのである。

「砂場の蕎麦」は「趣味そば」だから量が少なくて値段が高いのである。「蕎麦屋の系譜」は「巴町砂場」の店主の言葉を紹介している。曰く、「そばを昼飯代わりに腹いっぱい食うなんていったら、戦前は笑われましたよ。あれは戦後の代用食以後の話でね。そもそもが趣味食ですからね、東京の場合は。粋に食うものです。」

☆   ☆   ☆

この前「巴町砂場」で飲んだ時は「料理は5千円でお任せ」でお刺身、焼き物等がたっぷりでて、仕上げのざる蕎麦も量はしっかりしていた。これが定番なのか常連のY弁護士故のサービスなのかは分からないが・・・・

良い蕎麦屋の料理は美味しく、カロリーも高くないので健康なお酒が手頃に飲めると改めて思った次第である。

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