野村ホールディングスは15日に「1-9月期に1,456億ドルの損失を計上する」「米国の住宅ローンビジネスから完全撤退する」という発表を行った。このニュースには幾つかの点で関心があった。一つは野村ホールディングの株を少し持っているからだ。野村は配当利回りが2%を超えているので、当面売る予定はないが気になるところだ。野村の株は前日比80円下げて2,000円で寄り付いた。今回の損失はそれ程サプライズでないということだろう。
次に日経新聞が報じていたが、サブプライムを担当する「グローバル・マーケッツ部門」の責任者揚村CEOが更迭されたことだ。この人とは一昔前に外債取引で仕事をしたことがある。その後は付き合いはないがノルマの厳しい野村證券で良くがんばっていると思っていただけに多少寂しい気がする。新聞によると野村證券の常務執行役にはとどまるそうだから引き続きご活躍を期待したい。
だが最大の関心事は「どうして野村證券は米国で勝てないのか?」ということだ。野村ホールディングスはサブプライムローンに関して日系金融機関の中では桁違いに大きな損失を出したが、このことは野村が深く米国の住宅ローン市場にコミットしていたことを示す。野村證券は米国で色々な業務に挑戦し、時には大きな損失を出して撤退してきた。大きなところでは1999年3月期に米国の商業用不動産ローン担保証券ビジネスで4千6百億円を超える損失を出して撤退した。その他米国国債のマーケット・メイク、資産担保証券業務、シカゴやロス・アンジェルスでの先物関連取引などからも撤退している。
野村は今後ともデリバティブ業務や株式の売買業務は行うということだ。だがポイントは次の点だ。それは野村ホールディングスの古賀社長が「我々の米国における顧客ベースはきわめて弱いので、我々が米国で追い求めることができる業務には限りがある」と告白していることだ。
この顧客ベース、業界ではCustomer baseという英語の方がしっくりくるだろうが、兎に角顧客基盤を作ることができないということが、米国における日本の金融機関の限界なのである。簡単にいうと企業取引の幹事銀行・幹事証券になれないのである。私の経験からいうと不動産ローンなどの物ベースのファイナンスでは日本の金融機関もプライシングさえ良いと幹事を獲得することができる。しかし企業取引で幹事を獲得することはほぼ不可能だった(最近の事情は知らないが)。
何故物ベースのファイナンスで幹事が取れて、企業ベースの取引では幹事が取れないかというと物ベースのファイナンスというのは「奴隷の取引」で「企業与信は市民の取引」だからだと私は考えている。これはローマ時代に遡る話だが奴隷でも担保を提供するとお金を借りることができた。そして債務不履行があっても担保を処分されるだけで大したペナルティはなかった。一方無担保でお金を借りることができるのは一流の市民のみであった。何故なら彼らは命懸けで債務の履行を守ったからである。
こう考えると辛い話だが、米国人は日本の金融機関とは奴隷の取引はしても貴族の取引はしないと考えているということが見えてくる。物ベースのファイナンスはバブルに掴まり安くリスクが高いことは説明を要さないだろう。又企業取引つまりカスタマーベースを絶対に日本人には渡さないという米国の銀行・証券会社の極めて強い意思が見える。そこにはあたかも企業と金融機関の無言の談合があるかのようだ。談合という言葉が不穏当であれば、文化と商慣習の共有といっても良いだろう。
これに比べると日本に来ている米系証券会社や銀行は日本の大企業や公的資金に実に深く食い込んできる。金融技術の違いとか資本市場の大きさや深さの差だけは説明できない何かがありそうだ。日本の金融機関に必要なことは「歯を食いしばってもカスタマーベースを失わない」というコミットメントなのである。しかし挑戦しないものが挑戦者を批判する権利はない。米国市場の壁は厚くとも世界は広い。ビジネスチャンスはあるはずだ。私は野村が引き続き世界へ向けて挑戦することを期待している。