金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

ローン市場の再開は近い

2007年10月11日 | 金融

FTはサブプライム問題に端を発する信用収縮でローン債権の流通市場が崩壊していたが、再開の兆しがあると報じている。そこで一番注目されていることはローンを引き受けた銀行が今の適正価格に合わせて保有ローン資産を時価評価して評価損を計上しうるかどうかという点だ。FTはバブル崩壊後の日本の銀行を引き合いに出し、邦銀は評価損を出さなかったから日本経済にリカバリーは遅れたと述べている。

その当時不良債権の処理に関わったものとして多少の弁明をすると、銀行の心ある経営陣や幹部は決して不良債権をバランスシート上でキャリーすることを望んだ訳ではない。むしろ出来る範囲でバランスシートから切り離す努力をした。当時の税制などが不良債権の早期無税償却を認めなかったことが最大の問題だったのだ。負け犬の遠吠え的だがいうべきことは言っておきたいと思う。

さてFTの記事のポイントは次の通りだ。

  • 2ヶ月間投資家が米国のサブプライムローンや大型のLBO債務を購入しない状態が続いたが、銀行は在庫処分に動き始めた。数十億ドルにのぼる償却を実施した後、ドイツ銀行、シティグループを含む銀行達はこれらの資産を新しい証券に仕立てるかあるいは投資ファンドに売却するなりして、資産をきりはなそうとしている。銀行は毀損した資産に資本を配布しているよりもバランスシートをきれいにしてフレッシュ・スタートを切ることを望んでいる。
  • もっともこれらの動きは批判を呼んでいる。特に毀損したローン債権を購入するファンドに融資を行うことについては目をそばだたせている。つまり銀行は売却するローン債権の価格を人工的に高くするため、投資ファンドに賄賂を与えることを意味するのではないか?という訳だ。同様に疑問は銀行がCDOを組成するときにも起きている。銀行は彼らの報酬をカットし、入札者を誘引するためにディスカウントしているというものだ。
  • しかし今銀行が作り出しているストラクチャーが複雑だからという理由で銀行が信頼できないということにはならない。また銀行がローン債権を買う投資家に対して融資を行うにしても、額面割れで売却されること自体安心感を生むものである。それは銀行が問題案件を持ち続けることではなく、償却を行ったことを意味するからだ。これはこの夏の信用収縮が米国における発達した信用危機に拡大しないことを確実する上で極めて重要なことだ。
  • 欧州と米国の銀行が数十億ドルにのぼる償却を行いながら、ローン債権を売却するという事実は歓迎するべきである。恐らく銀行が提案する総てのスキームが検閲に合格することはないだろうが、彼らは正しい方向を向いている。

サブプライム問題に起因する信用収縮やローン債権流通市場の崩壊が欧米で起きたことは世界の金融界にとって幸いであった。欧米に金融機関はここ数年大きな利益を上げてきたので毀損した資産の簿価を一気に切り下げるため大きな損失を計上することが可能である。

市場型資本主義のポイントは時価評価の適正さにある。大手金融機関が適正な時価会計処理を行い、償却後の資産を流通市場に流すようになれば、私は雨降って地固まるであると考えている。人類は少しずつだが賢くなっていると信じたいものだ。

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国内では自動車が売れない!

2007年10月11日 | うんちく・小ネタ

先週末トヨタのディーラーからヴァンガードのセールスの電話があった。昔Rav4を買った店だが5,6年ご無沙汰している。「トヨタも国内販売に苦戦しているなぁ」と思っていたら、今日(10月10日)の日経新聞朝刊に「トヨタが国内販売目標を昨年実績(169万台)を下回る160万台半ばに下方修正した」という記事が出ていた。日経の記事は細かい数字が並んでいるが、同じニュースを取り上げたFTの記事の方が少し面白い。FTのポイントは次のとおりだ。

  • トヨタはまもなくGMを抜いて世界最大の自動車メーカーになるだろうが、自動車への関心が低下している日本の消費者の前では無力に見える。
  • 日本の人口は2050年までに21%減少すると予測されるが、自動車の販売台数減少は人口減少のためだけではない。若い世代は明らかに自動車に興味をなくし、ビデオゲームや携帯電話で時間を過ごすことを好んでいる。また車を持っている人は過去のように買い替えをしなくなった。
  • この点についていうと日本の自動車メーカーは長持ちする車を作ることに成功したという意味で自らの犠牲者である。しかし市場に新車を投入しても覆すことができない「しみったれた」傾向がある。

しみったれたはPenny pinchingpinchは締め付けるという意味でそれ自体けちけちするという意味がある。ペニーをケチる。つまり1円、2円を切り詰めるという語感だ。

  • CMSという調査会社によると「新車効果」が薄れているそうだ。新車効果というのは新しいモデルを投入して買い替えを誘引する効果で以前半年位続いたが今は3ヶ月になっているということだ。

FTは自動車の国内販売が減少スパイラルに入ると8つある自動車メーカーの統合も視野に入るのではないかと示唆している。

若干感想を述べよう。私は日産のX-TRAILに乗って5年半たつ。X-TRAILは良い車だが、排気量が小さく高速道路では余裕がなかった。最近X-TRAILに2.4Lのモデルが出たので買い換えたい気持ちが起きている。しかし一方「まだ4万キロしか走っていないし勿体ないなぁ」という気持ちもする。それと70歳まで車を運転するとして後13年、この間を2回の買い替えで済ますには「もう1,2年今の車に乗るか?」という判断も出てくる。恐らく余程の車好きか金持ちを除くと我々の同世代は似たり寄ったりの迷いを持っているのではないだろうか? この判断はFTPenny Pinchingと切り捨てるよりはもう少しレベルは高いと思うが・・・・・いずれにしてもこの様な逡巡が車の買い替えにブレーキをかけていることは間違いない。車の販売台数が落ちることは経済人としての観点からは、由々しいことだが資源や環境保護の観点からは悪いことではない。化石燃料の寿命がそろそろ問題になってくる中で自動車台数が際限なく伸びて良いことはない。日本はこれらの問題を先取りしているというべきだろう。

このことを踏まえて自動車メーカーは新しいビジネスモデルを組み立てる時期に来ているような気がする。

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秋の夜長

2007年10月10日 | 俳句

夜長は秋の季語だ。短い夏の夜の後だけに秋の涼しい夜は長く感じる。

正岡子規に 長き夜や 孔明死する三国志 という俳句がある。写生俳句の正岡子規にしては蕪村のように故事を踏まえた面白い句だ。中国の長編小説「三国志」で諸葛孔明の死ぬというクライマックスまで読み進むということで夜の長さをあらわしている。

この俳句は土井晩翠の星落五丈原という歌を思い出させる。

祁山悲秋の風更けて 陣雲暗し五丈原 ・・・・・丞相病いあつかりき 丞相病いあつかりき

先帝劉備玄徳の死後、諸葛孔明は魏と雌雄を決すべく数度五丈原に出陣する。しかし魏の名将司馬仲達は孔明の鋭気を避けて守りに徹する。孫子の兵法が教える「堂々の陣はうつことなかれ」ということだ。そうする内に命をすり減らして政務と軍務に精励していた孔明はついに五丈原にて死んでしまう。

正岡子規が何時この句を詠んだのかは知らない。彼は既に己の病と寿命を知っていたのだろうか?もしそうだとするとこの句にはもっと重みがある。

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株高で富豪増加、インドの話だが

2007年10月10日 | 社会・経済

FTによるとインドの株高でインド最大の実業家ムケシュ・アンバニ氏が世界で10位以内の富豪に入った。米国のフォーブス誌を見ると8月3日に発表しているリストでは同氏は14番目で純資産額201億ドルだ。このところのインド株高とルピーが対米ドルで強くなったので、ドル換算の資産額が拡大したということだろう。過去1年間でインドの代表的株価指数Sensexは50%上昇して、インドの時価総額は1兆ドル以上になった。アンバニ氏が率いるリライアンス・グループの株価は株価指数の倍の勢いで時価が増えている。因みに世界一の富豪はビル・ゲーツ氏で560億ドル、日本一の富豪は森トラストの森昭社長で純資産額は55億ドルだ。

ムケシュ・アンバニ氏と弟のアニル・アンバニ氏と反目しながら家業の石油精製業と繊維産業を伸ばしている。ムケシュ・アンバニ氏が率いるリライアンスグループが北西インドに保有する精製所は第二フェーズが完成すると世界最大の精製所になるということだ。

ムケシュ・アンバニは今鉄鋼王のミタル氏についてインド第二の富豪だ。弟のアニルもそれに次ぐ資産家だ。

インドで誰が金持ちになってもそれ程の興味はないが、今のインドのパワーは大変なものだ。インドに投資してほんのちょっぴり豊かになることは我々にもできることだろう。

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サルのがまんと人間の公平

2007年10月09日 | うんちく・小ネタ

エコノミスト誌に「チンパンジーの方が人間より我慢強い」という話が出ていた。最近の研究で人間の特性と思われる「我慢」とか「公平」という性質がかならずしも人間固有のものでないことが分かってきた。我慢Patienceとは「より大きな報償を得るために欲望を満たすことを遅らせる能力」であるが、実験では好物の食料~これは人間とチンパンジーでは違うらしいが~をすぐ取るか少し我慢できるかを調べた。もし被験者がすぐ食料に手を出すと1単位しかもらえないが2分間待つと3単位の食料が貰える。この実験の結果チンパンジーの方が人間より4倍位我慢強いことが分かったそうだ。その内辛抱の足りない人間をチンパンジーにも劣るというような言い回しが出てくるかもしれない。

ところで「朝三暮四」という諺がある。これは列氏に出てくる話で「昔宋の国に猿を沢山飼っている狙公という人物がいた。だんだん猿の餌代に困ってきたので猿に『これからは朝三つ暮れに四つにする』と言ったところ猿達が怒り出した。そこで狙公は「では朝四つにして暮れに三つにする』というと猿は喜んで納得した」というのが粗筋だ。

ここでは目先の利益につられて全体像が見えない猿が馬鹿にされているが、もし狙公が飼っていたのが普通の猿ではなくチンパンジーならこうは単純に行かなかったかもしれない。チンパンジーを甘く見てはいけないのだ。

ところで公平Fairnessについても実験が行われた。これは「最後通牒ゲーム」と言われるもので、提案者と回答者に別れてゲームをする。提案者はある品物(金でも良い)を自分と相手の分に好きな割合で分割して、回答者に提示する。この時回答者が応諾すると提案者と回答者はその品物を受け取ることが出来る。しかしもし回答者が提案者の配分割合が気に入らず拒否した場合は両者は何も受け取ることができない。

経済合理性を考えると回答者は配分がゼロでない限り、応諾した方がメリットがあるが、実験結果は違った。文化・年齢を超えて回答者への配分が2割以下の場合、回答者は拒絶したのである。これは提案者の貪欲を罰したものと解される。この公平の感覚というのは人間に特徴的でチンパンジーの方がより経済合理的に行動するらしい。

2割が公平さの臨界点というのは頭の中に入れておいて良いかもしれない。例えば日本のサラリーマン会社では平社員の年収は社長の年収の2割程度というところが多いのではないか?

もっとも公平の感覚の強さは文化的・後天的なものより遺伝的な要素が強いとエコノミスト誌が掲載した研究は行っている。そういえば身の回りにもやたらと「配分にこだわる」人がいて、中々妥協しなくて困ることがある。遺伝だと割り切るよりしょうがないのかもしれない。

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