3月6日の昼過ぎ、東京に帰る前に東山の永観堂にお参りした。なぜ永観堂か?というと瀬戸内寂聴さんの古寺巡礼で読んだ永観堂の「みかえり阿弥陀」のことが気になっていたからである。京都に生まれ育ったので永観堂も若い時にはお参りしたことがあるとは思うのだが、「みかえり阿弥陀」のことは記憶に定かでない。
非常に乱暴な言い方をすると東山界隈のお寺は似ている。東山を背負って西側の京都市内を見下ろす構造になっているからだ。だから時々記憶の中でアチコチの寺院の印象が混乱することがある。その中で永観堂を他の寺院と比べて際立たせているのは、阿弥陀堂にまつられた「みかえり阿弥陀」様である。永観堂で頂いたパンフレットには次のように書いてある。
永保2年(1082)2月15日早朝。阿弥陀堂に人影がうごく。夜を徹して念佛業に励んでいる僧侶がいるらしい。東の空がしらじらとし始めた。ふっと緊張がとけた一瞬、僧は息をのんだ。自分の前に誰かいる。それが誰か気がついて、足が止まった。
「永観、遅し」
ふりかえりざま、その方は、まっすぐ永観の目を見ておられた。
そう、その方が阿弥陀様。その阿弥陀様の首を左にかしげ、ふりむいた姿を像にしたのが永観堂のご本尊「みかえり阿弥陀」様である。
パンフレットは次のように結んでいる。
現代の私たちが、みかえり阿弥陀のお姿に教えられるもの、それは、遅れる者を待つ姿勢、思いやり深くまわりを見つめる姿勢、そして自分自身をかえりみ、人々とともに正しく前に進む姿勢。それはまた、阿弥陀さまの私たちへの想いなのです。
「みかえり阿弥陀」は一段と高い阿弥陀堂にすっと立っておられた(やはり初めてご尊顔を拝むようだ)。写真撮影禁止なので、お姿は永観堂HP→ http://www.eikando.or.jp/mikaeriamida.htmでごご覧ください。
私は広い意味での仏教徒であるが、特定の宗派の信者ではない。私は宗派とは「涅槃(ニルバーナ)という頂上に至る登山ルート」のようなものだ、と考えている。
ある人は非常に嶮岨で困難な岩壁から山を攀じ登らないと満足が得られないというアルピニストタイプだ。一方ある人は安全な道をゆっくり時間をかけて登り頂上の景色を楽しむというトレッカータイプだ。さらにはロープウェイで頂上まで運んで貰ってっも景色が楽しめれば良い、というツーリストもいる。
それは良し悪しの問題ではなく、その人の体質や好みの問題なのだろう。それを仏教では「法器の違い」という。
話を永観堂に戻すとこのお寺は浄土宗西山禅林寺派の総本山だ。浄土宗を先ほどの登山タイプで分類すると、私はトレッカータイプではないか?と考えている。アルピニストタイプは禅で、ツーリストタイプは浄土真宗だ。浄土真宗では弥陀の誓願により総ての人は極楽に行くことができるから一切の修行はいらないということになるが、浄土宗では極楽に行くには専修念仏が必要と教える。
今の私はこの浄土宗の「修行に対するバランスのとれた程の良さ」に共感する時がある。程の良さと仏様の限りない優しさを現したのがみかえり阿弥陀、と考えても良いだろう。この阿弥陀様は春の陽の光のように優しい。まことに良い日にお詣りができた。
春の日差しの中、永観堂を出て野村美術館の手前で疎水の支流?沿いの道を歩いて岡崎に向かった。
比叡山には春霞がかかっていた。早春は京都が良い。
細い路地を歩いて行くと突然煉瓦塀が続く異空間に入った。そこは動物園の裏。小学校の遠足で動物園にきたことはあったが、こんな裏道まで入るのは初めて。
塀の先には「白河院」の門があった。白河院は元は藤原良房の別邸で今は私学共済の保養所になっている。門を入ると山水庭園が広がっていたが、係の人がおらず入っていってよいものやらどうか躊躇している内に列車の時刻が迫ってきたので、旅の寄り道は止めて京都駅に向かった。