最近は「貸し渋り」問題が、一方的に貸手側の問題であるといった論調は少なくなっていると思うが、借り手の問題を堂々と論じる論調も少ない。何故なら一般的中小企業特に小企業は弱者であり、また事業者であるとともに、生活者であり、そして隣近所のおじさん達であるから、厳しい意見を述べるのが憚られるからだ。
だが敢えて「憚られる意見」を述べると「金を借りることが出来ない小企業」や金融機関から見ると「金を貸してはいけない小企業」が増えていることは事実だ。
その第1の理由は「日本の社会が市場経済化するとともに、金融モデルが米国化(ないしはグローバル化)している」ということだ。このことの良し悪しはここでは議論しない。ただこの事実にそって物事を考えることにする。金融モデルが米国化するということは、実は小企業は簡単に融資が受けられないことを意味する。米国で事業を起こすものは、自己資金を用意するか、エンジェルと呼ばれる投資家の資金を株式つまりリスクマネーとして用意する必要がある。銀行は相当分厚いエクイティのクッション(つまり高い自己資本比率)がないと融資を行わない。しかもその融資は短期間に回収する運転資金が大半だ。一方日本では過去「底積み運転資金」といった形で、べた貸しの運転資金を融資してきた。だがこの様な融資は米国金融モデルの下では「回収可能性が低い問題融資」と判定され、引当金をつまされる可能性が高いのである。
このように「強い中小企業を残し、弱い中小企業を淘汰する」ことで、業界の過当競争を緩和し、共倒れになるような価格競争を減らすというのが、市場経済主義の考え方である。
話がやや長くなったが、簡単にいうと金融のグローバル化は中小企業に自己資本増強を求めると考えて良く、財務内容が悪い中小企業は昔より融資を受け難くなるのはその帰結である。
第2の理由は「規制緩和・公共投資削減や人口動態の変化で、非効率なサービス業は壊滅的な打撃を受ける」可能性が高いということだ。より正確に表現するとその様に判断している銀行があるということだ。そのような銀行は中小企業融資にシュリンクする。
このことは公共工事の削減で、倒産する建設業が増えていることなどを考えると分かりやすいだろう。以前は税金をやり繰りして、非効率な産業を援助したり、無駄な工事を行うゆとりがあった。いや、本当はその時もゆとりはなく、国の借金を次世代に回すだけのことだったのだが・・・・
ところで昨日読んだ夕刊ゲンダイでは「保証協会の保証範囲が8割になったので銀行融資が減った」という記事があった。私は筆者が真実を理解した上で敢えて話を面白くしていると信じたいが、これは消費者の負担を増やすだけの話である。つまり保証が付けば銀行融資は増えるだろうが、不良債権も増える可能性が高い。不良債権は回りまわって、消費者の負担となるのである。