私は良く「新書」を読む。正確に数えた訳ではないが、平均して月3,4冊は集英社新書などの新書を読んでいると思う。グローバル化・複雑化した社会や技術問題をざっと概観するに「新書」は便利だからだ。ざっくと分けると新書には「軽いなぁ。簡単な話を膨らましただけじゃないか」と思う本と著者の長年の研究成果で溢れていて「読み応えのある」本の二種類がある。「日本の刑罰は重いか軽いか」(王雲海著・集英社文庫)は典型的な後者だ。
著者は中国の大学で法学を学んだ後、来日し一橋大学で法学博士になり、ハーバード大学の客員研究員にもなっている。日中米3カ国の刑法・刑罰に詳しい著者は、3カ国を比較して社会と刑罰の関係を浮き彫りにしていく。
著者は「中国社会の原点は国家権力であり」「中国が『中国』として安定して存在できるかどうかは・・・・安定的で強力な国家権力があるかどうかにかかっている」という。そして中国では法律は「国家権力が民衆を統制するための規則にすぎない」という。
米国については「米国が『米国』として安定して存在できるかどうかは・・・安定的で強力な法律があるかどうかにかかっている」といい、「『米国』とは一つの法律的概念」だという。
筆者によると「日本社会の原点は文化」で「人々の行動や生活に最も大きな影響を及ぼすのは、権力でもなければ法律でもなく・・・民間で存在している文化的なものである」
本書のテーマは「日本の刑罰は重いのか軽いのか」であるが、筆者は日本の刑罰が重いか軽いかに結論は述べない。無論死刑になる犯罪者が年間数千人を超える(と推定される)中国や、インサイダー取引などの経済事件で、重い実刑判決が出る米国より日本の方が刑罰が軽いということは推定できる。しかし筆者が言いたいことは「刑罰が重いか軽いかは、どのような社会を理想とするかにかかってくる問題だ」という点だ。
この辺りは抽象的で少し難解な話なのだが、もっと実際的な話も出てくる。例えば「中国では概ね1千元以上の盗みでないと窃盗罪にならない」という話だ。1千元というと市場レートで換算すると1万5千円だが、生活実感からすると1ヶ月の給料程度らしい。
このような法の執行スタイルを筆者は「中国の法執行はキャンペーン式だ」という。平たく言うと小さなことはほって置いて、政治理念や目前の社会情勢・治安状況を根拠にある種の犯罪を重点的に取り締まること。
「小さな窃盗は刑事罰の対象にならん」と考える中国人が多いので、来日中国人の犯罪が多い(今来日韓国人を超えて中国人がトップになっている)のか?と私は推測した。(ただし著者はこのようなことには触れていない)
話が横にそれたが、来年導入される「裁判員制度」をきっかけに、日本の刑罰問題を考えるならば、非常によい手がかりを提供してくれる本である。