金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

原油は十分にあるのか、ないのか?

2008年06月13日 | 社会・経済

原油価格が上昇すると、原油の埋蔵量が話題になる。「ピークオイル」という理論に基づき、我々は地球上の原油の半分位費消したのではないか?という推論も出てくる。エコノミスト誌もしばしば原油の話題を取り上げているが、埋蔵量に関しては余り悲観的な観測をしていない様だ。

今回は上場会社としては世界最大規模の石油会社BPの意見を紹介しているので、まず記事のポイントを見てみる。

  • BP社のヘイワード会長は「我々は炭化水素を使い切っていない」と主張する。彼は現在のエネルギー消費水準で後42年間使う分の埋蔵量があるという。彼は人類は既に1兆バレルの原油を費消したが、次の1兆バレルは既にラインアップされているし、またその次の1兆バレルも発掘されるだろうという。
  • ではどうして原油価格は上昇するのか?ヘイワード会長は「それは拙い政策のためであり、人類の狂気が原因だ」という。世界の原油埋蔵量の8割は国家が保有する会社によりコントロールされている。ヘイワード会長は「もしそれらの油田がフルに稼動すれば簡単に1日1億バレルの原油を生産することができる」という。

1日1億バレルというのは、昨年の実績1日82百万バレルに比べると非常に大きな数字で不可能だと別の業界トップは言っている。

  • 一見するところでは、BP社自身のデータはもっと悲観的なシナリオを支持するように見える。BP社は昨年世界の原油日産量が13万ばれる減少したことを認めている。また埋蔵量自体16億バレル減少した。このことは世界が新しい地下資源を発見する以上のペースで原油を費消していることを示唆している。
  • しかしBP社のレポートの著者の1人は、埋蔵量に関するデータは開示が遅れる傾向があり、もし新しいデータを使うと埋蔵量は増えているだろうと言う。また昨年の産出量減少には「意図せざるもの」と「意図的なもの」がある。メキシコやノルウェイの油田の産出量減少は避けることが出来ないものだが、ナイジェリアの減産は政治的混乱が原因だ。しかしより急激なのはサウジアラビアの減産だが、これは意図的なものだろう。
  • 昨年初めOPECは在庫の積みあがりと価格下落に悩んでいた。そこでOPECは減産を決定し、サウジアラビアが減産の大部分を引き受けたのである。BP社のレポートの著者は「もしサウジアラビアが望むなら、再び生産量を引き上げることは可能だ」と信じている。
  • 原油の消費についても、BP社のレポートは複雑な様相を示す。昨年先進国のオイル需要はほぼ1%減少した。これは1983年以降で最大の減少。一方発展途上国のオイル需要は4%以上増加した。その理由の一つは発展途上国の方が経済成長速度が先進国より早いからだ。だが原油に対する補助金も重要な役割を演じている。原油消費税が重い国では消費が落ち、原油の消費に補助金のある国では消費が増える。
  • BP社は高い原油価格の原因は需給のミスマッチにあるのではなく、幾つかの政府の政策ミスに原因があると見ている。需要サイドでのプラス材料は幾つかのアジア諸国が、補助金を出さないことを決めたことだ。
  • BP社の統計は過去数年については正しかったが、同社自身が認めているとおり、過去を照らした灯りが将来のガイドとなる訳ではない。

原油埋蔵量に関する見解が分かれるところの一つは、サウジアラビアで産油量が減っていることは、意図的なものなのか?意図せざるものなのか?というところだ。エコノミスト誌のこの記事はサウジの減産は意図的であるというBP社の見解に立っているが、別の観測もある。つまりメキシコやクェートの大油田で始まっている減産の兆候がサウジにも出ているのではないか?というものだ。

今まで1兆バレルの原油を費消したが、まだ1兆バレルの原油がある、そしてその1兆バレルを使ってもまた新たな1兆バレルが発見されるというのはかなり乱暴な話だ。というのはオイルサンドや深海底の原油まで勘定に入れると原油の埋蔵量は増えるが、採掘・精製コストや環境負荷を考えると次の1兆バレルは仮に使うことが出来ても高くつきそうだ。

☆    ☆    ☆

以下は私見だ。「何故原油価格が上がるのか?」というと私は「原油価格が上昇し、原油の消費量=産出量が減ることが産油国のメリットなので、産油国は価格上昇時に生産量を増やす努力をしない」これに対し、消費者側は原油に代替する手段を持っていなかったということである。

一般に財の価格が上昇して、利益が上がるようになると、生産者は生産量を増やし、利益の拡大を図る。例えばタイムラグはあるにせよ、食糧が不足して、価格が上昇してくると生産者は増産に向かう。

しかし原油の場合は価格が上昇しても、OPECに増産意欲はわかない。何故なら彼等が原油は限られた資源であることを一番知っているからだ。つまり今増産して一度に沢山ドルを貰うよりも、少しでも原油を長く掘り続ける方が彼等にとって儲けが大きいからである。

消費者側が価格交渉力をつけるには代替手段を持つことである。今回の原油価格高騰で消費国側がオプションを増やすことができると、原油価格の低下を促すことになるのだが・・・・

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定年時に見る男の生き方

2008年06月13日 | うんちく・小ネタ

仕事柄、定年退職する人の再雇用の斡旋などを行っている。この時色々なことが見えて面白い。最近感じ入った話は「定年後きっぱりと仕事をやめて勉強をする」という人の話だ。その人によると「自分はかなり前から60歳になったら会社を辞めて大学に通う。60歳前から時々大学の講座に通っていたが、これからは本格的に歴史の勉強などをしたいという。

無論60歳以降働かなくても、食べていけるかどうかは子供にかけた教育費の多寡などによるので、誰もが働かなくて済む訳ではない。しかしもし余る程の金はないにしろ、食べて行くに困るほどでないならば、きっぱりと仕事をやめて勉強に励むなどというのは誠に良い生き方だと私は考えている。

最近「アダム・スミス~感情道徳論と富国論の世界」(中公新書)という本が出版された。その中に人間の幸福とはなにか?ということに対するアダム・スミスの考え方が出ていて参考になる。

健康で負債がなく、良心にやましいところのない人に対して何を付け加えることができようか。この境遇にある人に対しては、財産のそれ以上の増加はすべて余計なものだというべきだろう

幸福は平静と享楽にある。平静なしに享楽はありえないし、完全な平静があるところでは、どんなものごとでも、ほとんどの場合、それを楽しむことができる

スミスは人々が世間の尊敬を得るには二つの違った道「徳への道」と「財産への道」があるという。世間は英知と徳を持った人を尊敬し、おろかで悪徳を持った人を軽蔑する。そして同時に世間は裕福な人、社会的地位の高い人を尊敬し、貧しい人、社会的地位の低い人を軽蔑し、少なくとも無視する。

我々は幾つになっても、「尊敬されたい」あるいは少なくとも「軽蔑されたり、無視されたくない」という欲求を持っている。必ずしも世間一般から賞賛されなくても良い。しかし小さなグループの中で、あるいはせめて家族の中で頼りにされ、できれば敬意を持たれたいと思うものである。

現役で働いている時は「ランク」というものが分かりやすい努力目標だった。しかしいずれは現役を降りる時がくる。その時人は何を持って敬意を表されるかというとスミスが言う「徳と英知」によってであろう。

英知を磨くには勉強に越したことはない。特に歴史を勉強することは賢者になる一つに道だろう(もっとも歴史を勉強すれば誰でも賢者になれるとも思わないが)。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という諺もある。

定年後はこれ以上資産を増やそうなどと考えず、教養を積みながら平静を大事にする・・・・ということは一つの立派な生き方だと私は感じている。

アダム・スミスに関する話は堂目氏の「アダム・スミス」から引用した。この本の生まれるきっかけは、ある大学院生が堂目氏のところに「道徳感情論」を仮にきたことにあると、あとがきに書いてあった。その大学生は大手生命保険会社の役員を定年退職後、大阪大学の大学院で研究を行っていた人ということだ。定年後の勉強は良いものだと思った。

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